私たちは裁判所の決定よりも顧客と地元を尊重する


http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20080131-OYT1T00411.htm

はてなブックマーク - 都内ホテル「教研集会、お帰りいただく」…高裁判断を無視 : 都内ホテル「教研 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

ホテルが日教組を司法判断を無視してまで拒否した件 - 一人でお茶を

プリンスホテルVS日教組ちょっとまとめ - novtan別館


と言っておおっぴらに喝采は受けずとも、支持する人は多いだろう。愛国無罪も在って然るべきかも知れないとも思う昨今。ホテルマンの矜持とは、遵法精神にあるか、顧客と地元の尊重にあるか。優先されるべきはいずれか。はっきり言って傍迷惑なこととは思うが、集会・結社の自由は保障されて然るべきではある。が、私企業における政治的態度決定の問題とすることは筋が違うだろう。


他なる場所の指摘にあったが。民民関係であり、当該ホテルの対応については、憲法問題ではなかろう。ただ。一報を私は点けっ放していたTVのニュースで聞いたが「右翼団体の街宣活動」を理由とするホテル側の公式的な見解をアナウンサーが読み上げて、ぼーっと聞いていた私はまじでコーヒー吹いた。そんなことを公言してしまう時世か。

 全国各地で毎年開催される教研集会を巡っては、会場周辺で、右翼団体が街宣活動を行うため、警察による厳重な警備体制が敷かれている。ホテル側の説明によると、今回突如、契約解除を通告したのは、「周辺に迷惑がかかると判断した」ため。契約後に前回の開催地の大分県別府市に社員を派遣するなどして調査した結果、100台以上の街宣車が出ることや警備、道路封鎖、検問などで1000人以上の警察官が出動することが判明したという。


ミンボーの女』を引き合いに出す趣味はないが、それはまずいだろう。日教組は「街宣活動を行う」「右翼団体」ではない。日教組に落ち度がないとは私は言わないが、このことについて「非」はない。裏で結託して呼んでいるわけでもあるまい、というのは悪い冗談か。そのことを理由とするのは公的には無理。トラブルメーカーをトラブルコストを理由に「お帰りいただく」なら、トラブルの在処に対する見解が問われることは仕方ないとは思う。


とはいえ。民民関係であって憲法問題ではない。日本は法治国家であるが、ホテルマンの矜持は遵法精神にはない、顧客と地元の尊重に在る。別に日本の問題ではなく、イタリアとか覿面にそう。とはいえ。宿泊客としての私は、火災が発生したら漏れなく死ねるホテル以外のホテルに縁がないのだが、当該ホテルは女衒とはかかわりないだろう。それが大店の格式。現在において、大店の格式にはコンプライアンスも含まれること、イタリアも同様ではある。


東横イン - Wikipedia


前段の軽口とはかかわりないことを堅くお断りしておくが。かつて散々利用した。後に、大変な顰蹙を買った社長の記者会見を拝見して、当該チェーンはもう二度と利用しないと私が思ったはずもない。顧客としては気に入っている。ホテルのソーシャルな公共性について合意は形成されているか。否。ホテルにおいて留保のない生は肯定されて然るべきか。否。憲法問題とすることは筋が違う。東横インは条例違反を指摘されたことが発端である。民民関係において裁判所の決定はあろう、が。記事タイトルに戻る。大屋氏の見解に全面的に同意する。


法は守るべきか - おおやにき


しかし。id:nesskoさんのコメ欄にて、また御自身のエントリでも、id:arkanalさんが「主権回復を目指す会」の名前を出しているのを目にして、私もまたそのことを思った。


DVについての講演会が中止された件 - ohnosakiko’s blog


当該の案件について、講演会の開催中止を要請した側の見解を、私の理解において要約するなら。公費によって運営される公的施設が政治的に紛糾する案件について偏向した論者を公的に招致するべきではない、公共機関の政治的公正の原則に反する。私は講演会については開催されるべきであったと考えている。DVについて公共的な問題として周知されるべきとする見解に同意するからだ。


公共的な問題が議論の過程において政治化することはやむをえない。公共施設たる図書館を利用して子供の頃から散々政治的な書物に親しんできたヘビーユーザーとしては、公的施設が政治化した公共的議論に対してコミットすることを法度とするべきとは思わない。公共施設の運営における政治的な偏向の所在が首肯されて然るべきか、と問うなら、私はそうは思わない。ので教科書検定制度廃止論者である。


公共を介することなき民民関係における政治的な代理戦争を私は支持しない。公共の問題が政治化する際に、公共概念が排されて然るべきとは私は考えない、「公共」の綱引きが政治であるとも考えない。公共の問題であるとする前提的な合意が要請されるべきと考える。民民関係とは言いかねることを民民関係の問題とするとき誰かが利するということ。


話は当該のホテルに戻る。憲法問題ではなく契約と信義の問題であり民民関係である。そして。民民関係において「右翼団体の街宣活動」が介在するなら、そのことを一方の当事者が公的に認めるなら。教研集会に際する「右翼団体の街宣活動」に日教組が同意するものではない。民民関係が、当事者ならざる任意の団体の意志的な行動により左右されるなら、それは集会・結社の自由の侵害ではないかも知れないが、明確に公共の問題である。ホテルのソ−シャルな公共性の有無とはかかわりなく。


「任意の団体の意志的な行動」が、民民関係において、そのような影響を与えることは、現在の民民関係の基盤にある市民社会とその相互的な信頼そのものを毀損する行為である。そのことにおいて、任意の契約関係における信義の問題とは限定し難いし、遵法精神をめぐる問題ですらない。諸個人間の自由な行動と相互的な折衝におけるフェアネスの問題。結局は引き合いに出すのだが。『ミンボーの女』において否とされたのは、まさにそのフェアネスに対する専横であった。暴力を背景にした威嚇をリソースとする。


事は民民関係である。ゆえにこそ、憂慮すべきことがある。ちなみに、朝日新聞の社説は無茶である。


ミンボーの女 [DVD]

ミンボーの女 [DVD]


追記⇒思想ロンダリングと威嚇ロンダリング - 地を這う難破船