懲戒請求をめぐって


http://www.chunichi.co.jp/s/article/2007061901000505.html


http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/991523.html


母子殺害事件弁護団 ネットで懲戒請求「運動」広がる : J-CASTニュース


http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/57939/



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橋下弁護士の口車に乗って光市事件弁護団の懲戒請求をしたあなた、取り下げるべきだとアドバイスします! - 情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士(ヤメ蚊)日隅一雄

 橋下弁護士は、懲戒請求をしても、光市の弁護団が懲戒されるとは思っていないはずだ。もし、本気でそう思っているなら、弁護士失格だ。弁護人は、一見、不合理だと思われることでも、被告人がその主張をしてほしいと望むのであれば、法廷で主張することもある。そのこと自体が懲戒の対象となるならば、弁護活動に多大な支障を来すことになる。

 おそらく、橋下弁護士に煽られて懲戒請求した人も、本気で懲戒されるとは思っていないだろう。軽い抗議のつもりで懲戒請求しているのだろう。

>軽い抗議のつもりで懲戒請求しているのだろう。


それが事実であるなら。………………。



既に、各所にて適切な説明が示されているゆえ、私なりの言葉にて記します。


批判を行うことと、懲戒処分を請求することは、異なります。かつ、本件は、弁護士会において懲戒相当と見なされる用件を構成しない。少なくとも、現時点におかれては。社会的な注目を集める、かつ、日本の刑事司法においても重大な公判の、審理の最中に懲戒を請求するということは、しかも数百件というのは、各弁護士会に対する業務妨害とは言わずとも、法曹が危機感を覚えてやむを得ないことです。


そのことを、日弁連ら日本の法曹界が国民の信頼を得ていないことの現れとすることもできるけれども、であるなら、日弁連ら日本の法曹、ことに被告人の利益を代表する側の法曹が倒壊することを首肯し得るのか。


死刑云々を措いても、たとえば痴漢冤罪等、私たちはいつでも刑事被告人となる蓋然ある立場にある。日弁連が、人権重視、被告人の利益重視の姿勢を公式に打ち出していることを、否とするべきか、それが絵に描いた餅であったとしても。


批判と懲戒請求は異なるし、抗議の意思表示と懲戒請求もまた、異なる。少なくとも、弁護士会に対する懲戒請求は、現行の司法制度に対する信頼を前提してなされるもの。現行の日本の司法制度とそれに対する信頼を、当該の弁護士の行為が貶めている、と判断した際に、「職務の内外を問わず「品位を失うべき非行」」を問うものとしての懲戒請求がなされる。


たとえば、日弁連ら日本の法曹界の、国民感情や社会通念との乖離に対して批判と抗議の意を表明するために、特定の弁護士に対する懲戒処分を請求することは妥当でないし、そうではないなら、すなわち当該の弁護士の「品位を失うべき非行」を問うているのなら、「弁護士に対する懲戒請求は正当な国民の権利」「弁護士の懲戒請求というのは弁護士法で定められた制度」(上記『痛いニュース(ノ∀`)』抽出レスより)ではあるけれども、事態の無原則性に対して法曹が反応することは不可解なことではない。


懲戒請求が数百件というのは、前例のない事態です。内容は措いても、「緊急アピールを発表」することは、ゆえなきこととは言えない。任意の刑事被告人の弁護団に対する懲戒請求が数百件に上ることも、「有志の弁護士508人が」「「被告が弁護を受ける権利を否定する言動に抗議し、直ちに中止を求める」との緊急アピールを発表」することも、異例の、否、異常な事態です。


そして、このような状況が持続ないしエスカレートするなら、日本の刑事司法制度自体が空転し無力化し、信頼を失い、相互不信の挙句機能不全へと至る。市民の信頼なき司法制度は、社会において機能することなくなる。私は、裁判員制度に賛成なので、それは困る、まずい、と思う。


「有志の弁護士508人」による、「被告が弁護を受ける権利を否定する言動に抗議し直ちに中止を求める」という「緊急アピール」の言、指摘されている通り、「話のすり替え」と映るかも知れない。ただ。こういうことがあったなら、今後このような被告人の弁護を引き受ける私選弁護人は、いっそう減少するであろうことは、無理な予見ではない。


私は、相対的には死刑存置論者ではあるけれども、この間、死刑判決を受けた幾人もの歳若い被告のことを思った。彼らは、どれほどの弁護を受けたのだろうか。「全力を尽くして」弁護されたのであろうか。彼らの弁護を引き受けたのは私選であったのか。「真実」の追究は、法廷において尽くされたのか。私は、あるいは彼らであったかもしれない側の人間であるから。


弁護人の仕事 - 地を這う難破船


私は、安田好弘氏ら弁護団を批判もした。その背景には、そうした思いもあった。死刑判決の予想される被告人のすべてにリソースを割くことはできないし、そのようにすべきだ、などと、言える人間はいない。


数百件の懲戒請求は「被告が弁護を受ける権利を否定する」ものではないけれども、確かにそれは話をすり替えているけれども、しかし、実質的には、同じことです。そのことに、「波及効果」に、思い至ることのないままに、懲戒請求しているわけではないでしょう。少なくとも、懲戒請求を広く唆していたわけではないだろう。


抗議の意を表明するなら、懲戒を請求することは筋違いであるし、もっと言えば、それはあるいは制度の「悪用」であるし、批判を行うなら、言論によって示すべきです。それも「正当な権利」である。「正当な権利」であるから徒に行使してよい、ということではない。無原則性、というのは、そういうことです。


懲戒請求は「弁護士法で定められた制度」であり「正当な国民の権利」であるけれども、しかし、否、そのゆえに、不用意な濫用は厳に戒められている。それも、また、現行の日本の司法制度とそれに対する信頼を貶める行為であるから。――貶める、という意図は、ないのでしょう。


「公的な職掌たる弁護士として、許し難い」ということと、「弁護士という職掌の、その公的な機能自体が許し難い」ということは、まったく異なる。正反対です。そして。少なくとも「有志の弁護士508人」が、数百件の懲戒請求という事態を、後者の現れと受け止めていることは、無理からぬこと。懲戒請求する側の意図が前者であっても、数百件の懲戒請求がそのように受け止められることは、考えるに難い。


死刑判決の予想される重大な刑事被告人の弁護というのは、得するところのない、比喩的に言うなら無償の行為であることが、多く前提されている、かつ、弁護活動において国民感情や社会通念を背景とするリスクには事欠かない。


ゆえに、そうした「得なく損取る」弁護活動は、算盤抜きの、弁護人の公的な意識としての善意によって支えられ、確保されてきた面がある。その公的な職業意識としての善意をこそ、「弁護士の職務」と、日本におかれては呼び習わされ、ゆえに弁護士は公的な職掌と見なされ社会的に敬され時に公正としての正義を背負う職掌的存在であり続けた。


このうえ、リスクの秤に「懲戒請求の殺到」が載ったとき、誰が乳児殺しの死姦者の弁護を引き受けるだろうか、安田氏のような信念の人以外に。懲戒請求というのは、弁護士にとって大変に重い、かつ、繰り返すけれども、数百件が殺到するということは、異例の事態です。


無一文の死姦者の弁護は一律国選弁護人が担当すれば宜しい、ということか。然るに、国選弁護人の存在自体が、弁護士という公的な職掌の正義と対する敬意を担保し、かつ、日本の司法制度に対する一定の信頼を形作ってもきた。私選として無一文の死姦者の弁護を引き受ける弁護士が在るということは、日本の司法を法曹を誇り得る用件でもある、たとえ、弁護活動の意図が別所にも所在したとして。


申し上げるなら――。日弁連は措いて、日本の司法制度に対する信頼あるなら、そのゆえの懲戒請求という抗議であるなら、思いとどまったほうがよいです。いや、思いとどまってください。


私を含めて、また弁護士のうちにも、安田氏の言行を批判する人はいるし、あるいは多い。そのことと、安田氏に対して懲戒処分を請求することは、異なるし、筋が違う。少なくとも。被告人の弁護団が重大な刑事事件の公判において、国民感情や社会通念を逸脱した不可解な、かつ、被害者やその遺族に対して侮辱的な主張を展開することは、弁護士会における懲戒相当の事由として該当する行為ではない。


是非については、国民感情や社会通念に照らして、公的に議論ないし主張されて構わないし、かくあるべき。私も批判した。――でも。その一件を理由として懲戒請求するということは、それを殺到させるということは、まして、かかる行為を広く唆すということは、正当な弁護活動に対する、ないし日本の司法制度に対する、妨害であり、否定/否認でもある。


ゆえに、司法の場における懲罰の可能性を上記の管理人氏は示したのでしょう。少なくとも、「有志の弁護士508人」は、そのように受け止めた。過剰反応とも、言えない。かかる事態と状況に、裁判員制度賛成の私は、頭を痛める。


――どうか。お願いします、懲戒請求については思いとどまって、批判や抗議の意は言論にて示してください<(_ _)>。


死刑相当の重大犯の酸鼻極まる犯行を弁護すること自体は、かかる意志を有する弁護士の存在することは、まったく正しいし、かかる日本の司法と法曹を誇るべきであるし、その(比喩的に言うなら)無償の弁護活動と、公的に要請される弁護を志願する意志と、それを担保する司法制度に対する私たちの誇りは、断固、守られなければならないのだから。守り続けなければならない。


たとえ、かかる弁護士/弁護団による実際の弁護活動と、公判において展開された主張が、グダグダで電波で稚拙で非常識で支離滅裂で残酷このうえない鬼畜に映ったとしても。


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懲戒申立てはリスクのある行為: la_causette