ある立場(id:Marco11さんのこと)


id:Marco11さんのこと - 地を這う難破船


罵倒を芸風とかキャラクターだとして容認する場こそが問題 - ARTIFACT@ハテナ系


id:Marco11さんが行動において一貫して、自らの筋を通していることは、確か。少なくとも、自己の明示する価値基準を恣意的にギアチェンジしているわけではない。Marco11さんの発言と行動を観測し続けている人間は、そのことを知る。言動において「不可解」ではあるかも知れないけれども、支離滅裂とは言い難い。自身の道徳律に基づき、社会通念、ないし既存のネットにおけるコモンセンスを、顰蹙承知で棄却しているに過ぎない、信仰のことを括弧に入れても。


であるから、Marco11さんが重んじて貫いているMarco11さん自身の「筋の通し方」ないし「信念」を前提したうえにて、言及含めて直接的に対応するが涼と、私は考えていた。私は行動原理において、それ以前にブログ運営のフォームとスタイルにおいてMarco11さんと決定的に相違するので、言及することはなかった。不干渉原則。


むろん、Marco11さんが対人において絶対の前提とするMarco11さん自身の「筋の通し方」は、信念/道徳律/行動原理というのは、明示したところで「俺ルール」でしかない。強制力や拘束力を持たない、他人が従う義理も義務も筋合もない。id:ekkenさんや、他の方たちの指摘している通り。


ブロガーへのラブレターが流行っているらしい。 - REV's blog


以降の関連記事も含めて、全面的に同意。リテラルな対戦成績の向こうに、実存という、手札を切るプレイヤーの顔と表情を見出すことにブロゴスフィアの、あるいははてなの、醍醐味を覚えるのは、私の趣味に過ぎない。ただ――という、私的で個人的な逡巡の話。


公論の領域に位置させるべく、記述を尽くさんとするのは、私のように「ただ――」と、私的に個人的に逡巡している人が、幾らかはあるだろうということ、その人たちのうち、Marco11さんのことを好いて、直接に交流もしていた人たちが、声を上げ難くなっていると、感じるゆえ。


罵倒問題については、以前、行きがかりから散々書いた、見解に特に変わりはない、ので略。当時と比して、私も文体というか口調が変わってきているけれども、はてなに慣れてフォームが定まったので、借りてきた猫でなくなり地が出た、ということに尽きる。


特定個人としてのブロガーに対してそうした口調は向けないし、後はsk-44の信用の問題と関わる。じき150エントリ、一定の信用は担保しているだろう。直接には絡み難くも見えるのだろうし、実際、性格が出ているだけかも知れないが、意思的にそうしている。私自身は、Webにおけるクネクネ趣味を持たない(他人のそれを見るのは楽しい)。


「容認」云々については、既視感がある。私もかつて必要からそのような議論を展開して、他人を問い質しもした。kanoseさんや、id:takisawaさんとほぼ同様のロジックに基づいて。過ぎたこと。平和的に決裂したに過ぎない。彼の人たちについては、興味深く読ませていただいている。戦線が異なった、ということだろう。だから。「容認」あるいは「黙認」について、本気で問い質したくなることは理解/了解する。


(注記:当エントリ自体は昨夜エディタに書いた。既に、kanoseさんがより端的かつ的確に同様のことを記している。とまれ、変更なく掲示する)


罵倒表現の問題ではなく、罵倒、時には脅迫的言動を駆使する相手と対話できるか?というのが問題 - ARTIFACT@ハテナ系


http://d.hatena.ne.jp/muffdiving/20070611/1181568962


はてなブックマーク - 罵倒表現が許容されてる場ってそんなに多くないと思う - NC-15


2007年06月11日 p_shirokuma はてな, # |ω・)…… muffdivingさんの批判なら、頭をたれてよく考えてみようという気になってくる。

2007年06月11日 ekken communication 俺はid:muffdivingの汚い口調に不快感はないなぁ。罵倒だとは思うけど、内容が理路整然としていることが多いからか。必ずしも賛同意見ではないけど、言っていることの理解はできるな。単なる罵倒ではないと。


引き合いに出して、失礼かつ申し訳ないのだけれども。私も同意するid:p_shirokumaさんとekkenさんの見解に加えて。


信仰の有無を措くなら――あるいは個人としての特定の信仰の有無ゆえに、ということかも知れない――muffdivingさんもまた、自らの確たる価値観に基づいた筋を通すことを、重んじる人であるけれども、muffdivingさんは、御自身が明言している通りに、自らと異なる価値観の主や、自身の重んじる筋を共有しない人や閲覧者の存在を、常に前提し意識して、そうした、自らと価値観と筋を同じくしない人に対する、説得的な見解の提示と資料の参照並びにその注釈を、実体験の丁寧な記述と共に、積み上げて構成したうえ、最後にmuffdivinngさん自身の確たる価値的な選択の表明として、罵倒表現を使用している。


「芸」ということではなく、詳細な事実と資料の提示に経験則の仔細な説明を重ねたうえの、muffdivingさんの説得的な価値判断の表明として示されているから、たとえ「口が悪くとも」、私を含めて多くの人は受け止めるし、支持する。その罵倒は常に、muffdivingさんの記事の説得性に裏打ちされている。


説得性というのは、自らと価値観と筋を同じくしない者の存在を前提したうえにて、かかる読み手に対して意と言葉と説明を尽くさんとするところに成る。端的な価値的判断の表明としての罵倒は説得性を持たず、極端で時にテンプレートな表現のみが宙に浮いてしまう。


muffdivingさんも記しているように。

理由があるから怒って、罵倒するという形取ってるんで、罵倒するときも理由はきちんと説明するよ。


テクニカルにも、理由あるいはその説明なき罵倒はおよそ社会的な機能を持たないがゆえにクリティカルでない。「社会的な機能」とは、自らと価値観と筋を同じくしない者に対する説得性ということ。むろん私も、muffdivingさんと見解を異にすることがまれにある。しかし、時に罵倒の混じる記事の説得性については常に一目も二目も置いている。


――で。Marco11さんは、以上を、意思して意識の域外に置いているので、注意を払わない、言い換えるなら、自らと価値観と筋を同じくしない者に対する説得性を意識/前提しない、少なくとも、そうした人たちに対するフォローを切り捨てている。「読むな」「俺とお前は違う」とはそういうこと。自身の価値観と筋の通し方を、他に対して記述的に説明する意思が確信的にない。


Marco11さんはそのことをリテラルにあるいは暗黙に幾度も明示しているので、そのことを知り、かつ了解する者は、私のように、以前から不干渉のもと拝読していた。Marco11さんに対して積極的に交流していた方たちは、そのような、Marco11さんが饒舌な言行と対する顰蹙によって暗黙にも示してきたフィーリングを了解していたのだろうと思う。


言い換えるなら、幾許かはウマが合ったのだろう。私は、ウマの合わないことを知っていたうえ、ネット限定の交流趣味を基本的に持たないので、不干渉のもと遠目に見ていた。――「ウマ」の問題と、私は思っていた。現在も思っている。


「ウマ」の問題をめぐるローカルな事象が大事へと至ったのは、むろん、一義に本人の饒舌な言行とその顰蹙の結果であるが、顰蹙の存在を承知のうえで、また自らも明言せずとも顰蹙したうえ(顰蹙を明言していた方は顕名ブロガーのうち数人しかいない)、饒舌の背後の暗黙を、理解し了解していた人たちは、本件の対応に難儀してもいる。つまり、説得的な説明が難しい。


御本人にその甲斐性を求めるくらいの無理はない。Marco11さんの信念であり「筋の通し方」であるから。その信念の不正義こそが、現在批判されている。不正義な信念を、それと知りつつ「容認」「黙認」する行為と、行為の主体たる幾人もの特定個人についても。


Marco11さんは、自らと価値観と筋を同じくしない者を切り捨てている、少なくとも、そうした人たちに対するフォローについては切り捨てている、意識を切っている。そして、そのことを幾度も明言し明示してきている、リテラルに饒舌な言行と、その結果する顰蹙と、暗黙の了解によって。


原則と道理を確認するなら。公開のブログを運営している以上、Marco11さんの明示する方針と意思に他人が従う義理も義務も筋合も、必要も、ない。宗教的な概念を、特定の信仰なき者が前提しなければならないという、「強制的な拘束」は、現在の日本におかれては、ない。


Marco11さんの一連の「DQN」的な言動については、私は既視である。芸風とかキャラクターということになっているけれども、言うまでもなく、ガチ。余計なことながら、私が気に掛けているのは、いずれ御本人がクラッシュして現実の大事へと及ぶこと。


はてなブックマーク - はてなグループ

2007年06月12日 kanose 不思議 また脅迫か。どうせすぐ前みたいに消すんだろうな/普段よくMarco11さんところにコメントしたりブクマしている人がこれに何も注意しなければ容認と見るなー


「普段よくMarco11さんのところにコメントしたりブクマしている人」が、「これ」に代表される諸々を「容認」しているのは、「「これ」に代表される諸々」を「芸風とかキャラクターだとして」いるからではなくて、上記に示したMarco11さんという人を承知のうえで、一連の言動をひっくるめて、Marco11さんのことが好きであるから、善悪長短ひっくるめて、素敵な人と思っているから。私も稀有な人とは思う。つまらないDQNではない。


私はMarco11さんのことを、いつ現実にクラッシュするかわからない危うい人と思っている。案じていると言ってもよい。同様に思っている方は、Marco11さんの、Webにおける友達の中にもあるだろう。


確信ある人は、結局のところ止められない。本人の意識におかれては本人なりの筋を通している。現実認識において掛け違えがあり、そのことに、本人も葛藤している。私が言わんとしていることを、察して頂きたく思う。


人間は多面的である。Marco11さんについては、ことにそう思う。一連の言動を示す人が、素敵で知的で真率な内容をエントリに記す人でもある。問題行動と素敵な記事は、同一の確たる価値観と行動原理に規定されている。その人を意識において受け入れるなら、容易には直接咎め得ることではない。


「関わりなき」私が、記事を追加することを決めたのは、以下を拝読したため。


http://d.hatena.ne.jp/b_say_so/20070611/1181565331


言うまでもなく。Marco11さんのWebにおける友達の多くは、DQNではまるでない、知性と常識ある人たちなのだから。――そう思った。