名は人生を表しこそしないけれども、時に。


松岡利勝農水相自殺、雑感: 極東ブログ

 「なぜ利勝」で「勝利」ではないのだろうか、それでも「勝利」のヴァリエーションだろうなと思っていた。戦中にはこの名前が少なくないし、その名前を付けられた人は戦後世界で微妙な思いを抱いて生きてきたものだ。時代と名前の引きずりの類似には昭和の昭坊がある。こうしたことは特に指摘されなければある年代以上には常識でも、ある年代以下にはぷっつりと通じなくなる。なお、彦野利勝のようにそうした背景を想像しなくてもよい時代も訪れる。
 松岡農水相の生年月日は1945年2月25日。都市部では敗色が濃くなる時期で、この時期に「利勝」という名前が付くのはよほど田舎であろうか。(後略)


私も、また、松岡利勝農水相の名前と生年には関心があった。このようなことになる以前から。私の親父は、松岡氏と生年が1年違う。敗戦後の生まれだ。しかるに、親父の名前は、戦前−戦中的なものであった。戦後的ならざるものであった。


親父の念頭にそうした文脈が所在したのかはわからないが、その名は私へと、幾許かは受け継がれた。妹も、だ。古風、というより、里見八犬伝か、と自ら突っ込みたくもなる。むろん、名は時に人を裏切り、名付けた者の願いを裏切る。私は、こう言ってよいなら、倫理的な人間として生きるところのあまりなかった。とはいえ、ナウでオサレな名前を付けられることなくてよかったとは思う。


そして、私の親父もまた、九州でこそなかったが、田舎の農家に生まれた。親父の実家の一族の、戦前から現在に亘る1世紀の話は、伝え聞くに、その矮小さも含めて、あたかもドストエフスキーの描く19世紀ロシアのごとくである。場所柄にもよるのだろうが、少なくとも横溝正史ではなかった。私は、日本のこの1世紀の近代史を、一義に親父の実家のごくささやかな興隆と盛衰を通じて、認識し把握している。私自身の行き来は10年近く絶えているのだが。


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↑の一節。手元にある文庫版の、p80。

 旗本が口をひらこうとすると、寺尾は右手で制した。
「わかっている。きみは、即四千万、必要なんだろ。ぼくも、別れた女房に渡すだけで、あと二千六百万、要る。……しかし、ここで詐欺同然の真似をしたら、いよいよ、信用を失うぞ。ぼくらには、もう寺尾文彦と旗本……旗本なんて言ったっけ?」
「旗本忠敬」
「すごい名前だ。戦争末期に生まれたってことがすぐ、わかる。忠臣の忠に、敬礼の敬。そんなすごい名前のてまえ、恥ずかしい真似をするな。僕らに残されたのは、もう、名前だけだ。それも、かなり、汚れている。これ以上、汚すのはよそうや」
「わかりました」


作中の時代背景は、作品発表時と同時期の、1979年前後。主人公の寺尾文彦は、46歳。対する旗本忠敬は、37歳。寺尾は、著者、小林信彦と同じ小国民世代である。そして。


寺尾文彦は20年間勤めたTV局を解雇された敏腕ディレクターであり、旗本忠敬は「ロカビリー歌手からタレント・マネージメント業に転じた」、借金に追い回されている男だ。文庫版p68−69。

「旗本君は元気だな」
 寺尾は感歎する。
「元気じゃないですよ、ちっとも。……ぼくだって、佐藤とか、山田、田中、小林、鈴木と言った姓に生まれて、ダレていたいですよ。……あいにく、ぼくの名前は旗本です。子供のころから、ちょっとでも怠けていると、<旗本退屈男>って呼ばれたんです」
「は、は」
「あなただって、RTVの若手ディレクターのころ、よく、僕のことを、退屈男って呼んだですよ」
「本当?」
「ええ。……傷付けられたほうは、ちゃんと覚えてます」
「ごめん、ごめん……」
「いいんですよ、もう」
 旗本は屈折した笑みを浮かべた。
「ぼくは、四千万の借金で気が狂いそうです。筋の良くない金なので」
 自分は、まだしも、幸せな方らしい、と寺尾は思った。

いんちき臭くなければ生きていけない! 思わぬ運命の転変にめぐりあい、莫大な金を必要としたとき、四人はそう悟った。目標は二億円――素人の彼らは老詐欺師のコーチを受け、知恵を傾け、トリックを仕掛け、あの手この手で金をせしめる……。奇妙な男女四人組が、人間の欲望や心理の隙、意識の空白につけこむスマートで爽快、ユーモラスな本格的コン・ゲーム小説。


――と、文庫裏表紙の紹介にある小説には、人の生まれ育った時代と境遇が、凡なる人に抜き難く与える陰翳と屈折と、生まれ育った時代と境遇の相違に基づく、凡なる人同士の超え難い隔絶とが、基調低音として綴られ奏でられて、軽妙な中に暗い翳りと、時に苦い印象を与えてもいる。


現在、エンターテインメントとしては、私には判断し難い。ただ、その翳りと苦さと時代認識と、世相に対する透徹において、いまなお良き作品であると思う。松岡氏の一件のずいぶん以前に、ふと再読して、そのような感想を持った。小説家小林信彦は、気質的に、文学の人である、と改めて確認した。


極東ブログ』から。

 野党や反安倍の勢力はこの事件を政局にもっていきたいのだろうが、悲しいかな、この詰め将棋、松岡利勝農水相が一手分だけ勝っていたのではないか。ただ、そんな勝利に人間としてなんの意味があるのか。


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隠れた(隠れていないなら嬉しい)名作たる↑の、あるエピソードのクライマックスに、次のような言葉がある。

誇るに足る敗北は、卑しい勝利に勝る。 - Google 検索


作中、米国の法廷においてそう言い切ったのは、大企業の役員として悪辣の限りを尽くし、結果切られて表舞台から去った今、己の生き方を幾許かは変えようとする、強面で悪人顔の、還暦と思しき、傲慢な屈折した日本人ビジネスマンであった。


未だ10代であったはずの当時、胸にメモした台詞であった。いま、私も幾らかは知る。言うまでもなく、それは、空文にして空言なのである。良くも悪くも。卑しい勝利は忌むべきであるが、誇るに足る敗北を、誇り得る人間は、多く単に物知らずなのだ。作中のビジネスマンは、誇るに足る敗北を誇っていたのではない。


彼は屈折していたが、地位にかかわりなく傲慢であり、狡猾でもあった。ゆえに、還暦に及んで人生の再生に臨む。誇るに足る敗北を知るためには、人は狡猾でなければならない。年老いたなら。記して、私は親父のことをふと考える。長子であった親父のことを。人生を再生するために必要なものは、一義に狡猾さである。


親父は、倫理的に生きようと意思してきた人であった。自死することなかったのは、年老いて意思が惰弱になったためでもあろう。(紋切型の修辞を添えるなら、「運命に抗って」)懸命に生きようとする人ほど、不意に死んでしまう、というのは本当である。同じことなのだから。『ソナチネ』にあった。「あんまり死ぬの怖がってると死にたくなっちゃうんだよ」。


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親父について、偶然という僥倖の結果として生きている、としか私は思うことのない。過去のこと、として処理して数十年の後に復讐される人を、私は多く見てきた。幼き日の不幸の手紙は数十年遅れて自らに届く。過去のこと、とすることなくとも、親父もまた復讐された。年貢の納め時、とは考えているらしい。懸命に生きようとすることを諦めたということ。肉体的には今なお壮健であるが、眼を病み、すっかり老いてしまった。だから、生きてゆくだろう。


ある方(女性)が、男の方が「死」に近い感じがする、とブログに記していたが、私の姓に連なる家の男は、あるいは男達は、かつての戦争を貫いて、現在に及び、そうであった、とも思う。日本の男は、と言いたくもある。ただし、現在に及ぶそれは、平時において、病気として表出するのだが。『太陽の子』の父親のように。――私の灰谷健次郎の読み方がおかしいことは知っている。


私は、原初において、父方母方の祖父と祖母から、親父と母親から、自らと妹から、男と女について、得た陳腐な認識がある。男は死にゆくし、女は死ぬことのない。そして、私は、ある時点から、死にゆく男のような女しか、求めることのなくなった。むろん、いないわけではなかった。ただ、女に男を求めることの悪と愚を、知った。私は、男のような女のコを求めていたわけでは、なかった。


私は、死にゆくことのない人の内において眠りたいと時折思うのだが、それは、私にとって性と関係のあることではない。母親と私は適当に仲がよい。ミソジニーという概念が存在するなら私は該当するであろうが、知ったことではない。


私達の多くは、埃にまみれた与党の代議士ではない。にもかかわらず、誇るに足る敗北が存することを見定めるには、私達の眼は不幸ゆえの暗愚に過ぎる。死にゆく存在に物事が透徹して見えるわけではない。卑しい勝利を看破することは、かくも容易いのに。誇るに足る敗北が、人の世に存することに、錯誤はない。そして、死にゆく存在は、錯誤をしか生き得ないのであろう。戦前戦中戦後を貫いて、私に繋がる分別なき男達のように。眼の疵と瑕は継がれる。


そういえば、このような映画もあった。


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