現状報告ポエム


付記:お、エントリをアップしようとしたら。以心伝心ですね。


ども。家をしばらく空けている間、基本的にネットにもあまり繋いでいなかった。空いた時間は昔のように本と映画に当てていた。先日復帰。物理的なるやるべき事項はいまなお山積み。なんというか、まったく私の個人的な話ではあるのだけれども、現実の場面において、思うところがあった。


ある方が少し前に言っていた通りに、お里が知れる、というのは、あるな、と。はてな村にて何か知的めいたことをいくら綴ってみせたところで、勘違いをするな、と囁く誰かがいる。私はあの親父の息子なのだ、と自らの外延はその限界と共に確定される。むろん、その自己規定がどこかしら快く自らを安堵させる類のものであるから、私はかかる陳腐なありふれた実存様式に乗っかってみせる。


私はきっと、実存において父のような悲しい粗暴な凡人として終わるのであろう。凡人として終わるのなら、滅びの時を畳の上にて家族に見守られて迎えるなら、生来の粗暴な男としては上出来であろう。親父がそうであるように。


私は家族を持つつもりはない――親父もそう思っていたらしい。母の腹に生命の宿るまでは。私のことだ。そして、後年、人間の気質は血を逃れないという点において私と母親は合意した。相続財産も孫の顔という負担もない、気楽な長男である。誤解なきように書いておくと、親父はそれなりに元気にしている。私においてはいまだ顕在することないが、瞳孔の不具合も遺伝しているらしい。


そして改めて戦線を見渡すと、現実感はいささかない。知れたことだが、はてなというのは、限定的に先鋭と言ってもよいのだけれども、ストレンジな空間である。とはいえ相も変わらず色々な状況になっていることを知り、私のことではないのだが、少しく落胆する件もあった。遅ればせながら、であるのかも知れないが、少し。


私も本格的に更新再開してから半年を過ぎるけれども、その間にはあの人と揉めあの人と喧嘩してあの人と怒鳴りあい、って揉め事ばかりだな。おおむね私の不徳の致すところであったとは、ことに今となっては思う。当時は神経質に過ぎたし、他人の言葉に対して過敏に過ぎたし、また律儀に過ぎたし、ブログの運営に熱心に過ぎた。そういう時期はあるな、と遠い目をして、たそがれてみる。


思えば、結局のところ数ヶ月の長きに亘る神経戦ではあったけれども、やっておいてよかったとは思っている。ある程度は誤解は解けていることだろう、あからさまな政治的意図のもとに直接絡んでくる人は最近はいない。知識と見識ある人なら私とて興味深く読む以外にはない。それこそ右も左もない。


また、やりあって得るところのなかった相手はひとりもいなかった。やりあってわかったこともある、あるいはやりあった当時はわからなかったけれども、その後に了解することも多かった。やりあった相手に関心を抱いて過去ログに片端から目を通したりアンテナに入れたりしてきたためだ。そういう相手であったということだと思う。


意見も見解も価値判断も状況認識すらも合致することは今もってないであろうけれども、その人がそう考える理由や、なぜあのようなことを書いていたのかという脈絡については、事後的に合点が行くことも多かった。むろん美しい国の美しい大人として、無理やり閉めた蓋を開けるような真似は慎み深く禁欲さるべきであるが。いや私自身の話。


真面目な話、誰に対しても、いわゆる私怨はない、嫌ってもいない、それどころかアンテナに登録して継続的に興味深く読んでいる、みなポリシーのある人達であったから、ポリシーにおいて私と相違するかあるいは対立する点はあったけれども、自らと異なるポリシーを理解したうえにて敬意を払うことは価値相対主義者の責務ではある。少なくとも、概括的に言うなら、私の「左翼」に対する偏見混じりの認識を決定的に改める契機となった。私と直接に色々とあった皆様に、切に感謝します。


そして――やりあった側としては、相手がその後も元気にかつ活発に更新を続けていると、誠に勝手ながら、安堵もするし嬉しく思いもする。いや忌々しく思うこともあるのかも知れない。ただ、あの人については私は嬉しかった。届くこともないのだろうけれど書いておくと、私は覚えているしいまなお考え続けています、昨年末の一連の件の意味については。


だから。色々と落ち着いたいまとなっては、であるけれども、私は少しく痛みを覚えることもある。たぶん、私にその義理もあるいは資格もないのであろうが――ブロガーにとっては、過去の行為は新規の更新によって上書きしていく以外にない。アーカイブは残るけれども。昨年や今年の初頭を知る人にとって、sk-44というブロガーは現在、どのようなパーソナリティーとして映っているのであろうか。よくわからない。


娑婆の渡世に少しばかり疲れて広大なるネットに逃避しに来たら、プレイヤーとして参加した途端にそこもまた別の渡世であった。渡世である以上義理も筋も仁義もあるし、世間的な死とてある。ブログ渡世における、プレイヤーとしてのブロガーの社会的な死。


「おまえはすでに死んでいる」な人は右方面には結構いる。多く露骨な確信犯的言動の空手形乱発による自業自得であったりするので、思うこともない。銃撃事件のあった先月、当然のごとく叩かれていたとき、私はその右方面にて著名であるらしきブログを初めて個体認識した。煽動口調は苦手なもので。確信犯であったのかは措いて、偏見を隠さない人はいずれ足元を掬われる。


人を呪わば穴ふたつ、私は以前にもそう記した。ただ認識を今となっては違える。悪意や敵意の言葉を他に投げつける者は、他の誰でもない、自らの悪意と敵意に胸を穿たれる。我が眼の悪魔を鏡の奥に覗き込んでしまう。言葉は、その程度には人を拘束するし、その程度には恐ろしい。


いつからだろう、私は現実の自己をゴーストと思うようになった。幽霊と。私は自らの冷血を改めて知った。冷血とは冷静とも怜悧とも異なる。爬虫類ということ。爬虫類が功利的に人の値踏みをするということだ。――リアルでの話だが。


現実の自己は、Webに記された電子文字の連なりでしかない自己によって反映され蝕まれ侵食され喰われる。言葉によって表象された匿名の仮構された自己が、現実の自己を決定的に貫くことがある。結局は、言葉もまた生身の自己でしかないためだ。時に明晰に透徹した、冷静で怜悧で冷血な、醜悪で矮小な願望の自己という、リテラルな、逃げ場なき肉体として。


リアルにおいてゴーストであった私は、ネットにおいてモンスターになる。怪物に。いずれにせよ、それは生身の人とは遠いと思って、しかし私は思い直す。それが生身の人であるということであって、生身の人であるとはもはやそういうことでしかない。愛がボディランゲージにしか現れないとき、理知的で理性的で論理的で感情的で脊髄反射的なるネットは愛からもっとも遠い。


愛という無残において生身の人は補完されるのか、否、愛の肉体的な欠落において生身の人は確定する。ゴーストでありモンスターである、爬虫類としての不完全な糞袋として。Webに生きる自己というのは、いずれにせよ無残な自己であり、その言葉の無残こそが、生身の自己の肉体を確定している。社会的にも。


私は。ブログの運営において、だいぶん枯れてしまった。あからさまに喧嘩を売ることを目的としたTBを打つ気力はもはやない。他人様のコメ欄への出張についても同様。そういえば、最近は、少なくともはてな村においては、右と左のブロガー同士が直接に衝突することが減ってきた。たぶんに私も含めて、牽制球は相互に投げ合っていて、ブクマなど時に壮観なことになっているわけだが、正面からガチッとは行かない。


双方の土俵に直接に踏み込まぬようにしたうえにて、棲み分けていくということ。よいことではないかな、軋轢の減少することは、悪いことではない、それが、最適化ということ。少なくとも政治的な問題については、棲み分けこそが最適化の結果という、身も蓋もない話。


渡世をしのいでいくしかない。リアルにおいても、自らが望むならネットにおいても。いずれにせよ、渡世のしのぎ方は人それぞれ。このブログは淡々と続きます。人生は止まらない列車。