眠り


という村上春樹の短編は好きであった。『TVピープル』収録。ところで『ロング・グッドバイ』はいつ書店に入荷されるのであろうか。清水俊二訳にしびれた似非チャンドリアンとしては大変に待ち遠しい。


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予約していたにもかかわらず行きそびれました。各所に土下座。理由、寝過ごしました。いや前日すでに30時間以上起きていたとはいえ、午前2時には就寝したわけですよ。8時間寝ても10時、よしんば10時間寝入ったとしても正午。公開イベントは3時開始。尿の近い体質ゆえ、途中トイレで目も覚めるでしょう、ということで目覚まし時計を掛けなかったわけですね。日曜ですし。七色の夢を見て、目覚めたら午後5時。どう見てもあと1時間でイベント終了です、本当にありがとうございました。――申し訳ありません。


15時間もぶっ続けで眠るとは。まったく久方振り。心身ともに疲れていたことは事実であるが、私の内的機構は、たとえ植物的に静止していたとしても疲労がデフォルトというもので、あったりする。バイタリティがなく疲れがちということ。それでもなんとか生活のメンテナンスを、文明人としての最低線にてやりくりしてはいるので、たぶん今回も帳尻は合うと、油断していた。とはいえ、長く眠ることはなんであれ気持ちがよい。世の中に寝るより楽はなかりけり浮世の馬鹿は起きて働く。ま、華族でもなし恒産もない公団育ちの私は、浮世の馬鹿の一員にならざるを得ないわけですが、嫌々。


20歳前後の数年間、私はずうっと、甚だしい睡眠障害に悩まされていた。つまりは重度の不眠症。徹底して眠れない、寝付けないというのは、かつそうした状況が恒常的かつ慢性的に持続するというのは、あれは本当に苦しい。生活の設計が根本的に成り立たない。すさまじく強い入眠剤、というか睡眠薬の処方を長らく受け、さすがに大量服薬には、少なくとも睡眠薬に関しては至らなかったが(自殺未遂癖はないうえに、やばさを知っている)、強いアルコールとのちゃんぽんは頻繁にやらかして(そもそも服薬期間はアルコールの摂取自体が御法度である)、昏倒ならびに乱行を繰り返しておりました。もっとも荒んでいた時期ゆえに、警察の御厄介にも幾度かなりました。


申し訳ありません、反省しきりです、と記したいことは本心ではあるけれども、当時の記憶自体が、鮮明と不鮮明と激しく入り混じり、そして数年以上も以前の混濁した一連の記憶を反芻するという「自分探し」の有効性を、私は自分自身に関しては、体験的にも認めていない。思い出すことは何よりも肝要である、ただし、本人の意図からは外れた引用となるけれども、小林秀雄の記す通り、上手に思い出すことは非常に難しい。下手に思い出したがためにろくでもないことになった/なっている人間を、私は実際に数多く知っている。明記しておくと、乱行の責は警察にて取っている。当時の制度の線引きのもとで、社会的な仁義は切っているつもりです。


何が言いたいのかというと。何年も以前から私は入眠剤の処方を一切やめているのだけれども(むろん段階的に切っていった)、徹底的に眠れないという辛さしんどさを幾年も続けて骨の髄まで味わった身としては、眠れるだけで、布団に寝転がってDVDでも観ながらチューハイ一缶を舐めているだけで眠くなって、TVを付けっ放したまま、あるいは電灯を点けたままにて寝入ってしまう、それも放置しておけば10時間以上も眠ってしまう、ということは、ただそれだけで、このうえないシアワセなのである――フィジカルに。神経が緩んでいる、緩め得る、ということであるから。


ようやく寝付けたかと思ったらトイレでもないのに1時間半で目が覚めて、以後まったく眠れずまんじりと丑三つ時を過ごす、夜が明け日が昇るまでが長くて長くて仕方がない、時計を凝と見つめていた、それが毎日であった。当然のごとく時間観念と日付の観念は飛ぶ。その名残は現在もあって、私は自己の外部に存在する時間という社会的な概念に、内部の不完全な縫合物たるシステムを本質的に合致させることが、できない。むろん、生活の設計という必要からも表面的には合致させざるを得ないわけで、いまなお鉄の意思を動員して日々の善処に至っているわけであるが、プライベートに際しては、タガが緩んで上記のごとく無意識の俺流を貫きヘマをやってしまう。


思えば当時すでに、私はインターネットに接続していたが、なぜかあまりハマることもなく、本ばかり読んで映画のビデオ(当時)ばかり観て、そして美術館や博物館にはよく行っていた。たぶんに、自らを空虚な混沌と思っていたからこそ、文化という空間的で質感的なフェティッシュを渇望し、対象化され客体化された自意識の弁証としてのスタイルを摂取していたのであろう。必死に、飢えているかのように、自らの破けたシステムを縫合し自律させるための糧とリソースとして。現在、映画や美術はともかく(むしろ映画館でよく見るようになった。名画座などもいまだに行く。美術も同様、都内で展示されれば国宝などわざわざ現物を拝見しに行く。『松林図屏風』は結局、見逃したけれども)、書物については、当時と比べて相対的にも、改めて手に取る機会は減り、新刊書店詣でも怠惰となり、多くの雑誌には目もくれず、はるかに大量の、Webに掲示されている文章を片端から読み下し読み飛ばすようになってしまったという、因果な無教養者のていたらくである。


睡眠の話。眠り得ることはただそれだけでハピネス、私の人生の、内部のシステムにおける最優先事項であり、モットーでもある。長きに渡る主観的には苦痛に覆われた体験ゆえのことであるので、少なくとも個人の内的体系においては、誰にも譲ることはない。「何人たりとも俺の眠りを妨げる奴は許さん」と言えばあたかも流川楓のごとくだが→流川楓 俺の眠りを - Google 検索、とはいえ私は個人的な私生活において、多く睡眠を削って友人と会い延々と与太話したりもしている。他人が眠りに優先する、他者との交歓に際するケミストリーが、内的なシステムの安楽へと向かう自閉に優先する、かくあるうちは社会的存在たる「人間」としては大丈夫であろうし、あるいは、私は自らのプライベートにして神聖不可侵な眠りと夢を、単に肉体的かつ感覚的に邪魔する他人が許し難くて、女と楽しく付き合うことはあっても、一緒に眠ることはやめたのかも知れない。手前勝手な理由であることは知っているから現在のていたらくなのである。


余談ではあるが、私はモノカキが、10時間眠らないと機能しないといった過眠な我が身を語っているところを発見すると、つい意識にクリップしスクラップしてしまう。スクラップ帳の人名録には、永井荷風丸谷才一中野翠浅田彰といった名が。丸谷先生など、森鴎外が説いた短時間睡眠について、その業績については措いて苦言を呈していたほどである。あの調子のエッセイにて。


皆さん憶えていらっしゃるであろうか。以前、日本道路公団総裁の藤井治芳が更迭されたときに、氏の有名な逸話として、入省以来、20代は2時間睡眠、30代は3時間睡眠、40代は4時間睡眠……といった鋼鉄の自己規律によって建設事務次官にまで上り詰めたとVTRによって語られた後に、60代の現在、ようやく6時間眠れるようになりましたと、あのエネルギッシュな誠に食えない笑顔で本人が話しているのを見たとき、慄然として心底ついていけないと思ったものである。筑紫哲也によるインタビューに際してのことであった。


藤井治芳 - Wikipedia


むろん、世代の問題もまた資質の相違も存するのであるが、意識の有り様と、それに規定された生活の設計が、根本的かつ決定的に違う。解はあるいは簡単で「生活の設計」の上部に所在する審級が、氏のような人には自明に存在していて、かような人間にとっての生活とは、優位にある上位審級のためにこそ設計されている。つまりは、「生活の設計」を最上位の審級に置くことはない。「生活の設計」とは氏のような人にとっては手段であって目的とはならない、目的のために「生活の設計」は最適化される。むろん、公職を志向しそれに就く者にとっては、あるいは当然の意識でもあるし、かくあらねばならない。それは、鴎外に代表される明治のエリートにとっては他なる選択は無であるほどに決定的に自明な事柄であり、そのことに反撥した明治のエリートが、たとえば夏目漱石であった。


かかる上位審級をこそ、現在において一般化するなら公共とも大義とも呼ぶのであろうし、そして、あるいはそれは、かかる意識を生きる個人の内部においては、決して彼らは対外的にそう表現することはなかろうが、個人にとっての夢、なのであろうと思う。I have a dreamとかつて牧師によって宣言された、夢。個人の内部に描かれ、人々に共有された夢の形の美醜は、部分的にも現実化したときに、暫定的な決済として判断され、中間的な総括を経て、いずれ歴史に記述される。


「生活の設計」をこそ最優位の審級たる(手段ならざる)目的として設定したうえで、その模索と暫定的な構築のためにこそ外的な状況に個人としてアクセスしコミットする、かかる発想と価値観自体が、経済国にて生成された退屈な世界観の産物ではあろう。あえて、抽象的かつ俗流文学的な表現を用いるなら、昼の夢を望むか夜の夢を選ぶかという、あるいは古典的な話ともなるが、かかる問題設定が決定的にリアリティを有して問われ得るのは、現代でもある。


不眠症を患う以前の10代、私にとって眠りとは救いであり、文字通りの夜の夢とは精神のサバトであった。よい夢ばかり見ていたわけではむろんない、目覚めの昼においてろくなことがなく、日常に安息はなく、翌朝を疎み厭いながら布団にもぐり非現実の幻へと墜ちた。ツケが回ってやがてサバトは失われ、精神は安息を喪った。そして現在、ようやっと私は困難なく眠りに付く幸福を、肉体の疲れが精神の弛緩として反映される、内部機構の正常性を、システムの適正稼動を――私は真顔で書くが、自らに掛けられた呪いから、奪い返しはした。――だから『ハウルの動く城』を2度目に観たとき、私は様々な意味で泣いた。


そして、文字通りの夜の夢を長らく見ていないことに、私は先般、否、だいぶん以前に気が付いた。現実の段階的な受容が、非現実への希求と依存を、フィルタリングし排斥した。服薬なきまま、独りにて昏々と眠り得る、至福。もはや長きにわたる私の単身癖もまた、そこに由来し帰結するのかも知れない。独り寝の子守唄は、身体と脳髄の、洗濯と充当に何よりも資する。情報社会における文明人の、あまりに隠れた墜落としての快楽とは、植物的な静止と、点滅する欲望の捨象――すなわちメタ化にこそある。


だいぶん昔、リリー・フランキーが書いていた。『誰も知らない名言集』の文庫版後書。本が手元にないので記憶で記す。彼がいつものように自室にて沈黙を楽しんでいたところ、女が言った。「ねえ、怒ってるの?」。私は饒舌家であるし、独り言も多い。しかしながら、沈黙と静止を楽しむということが、人間に許された稀少でかつ困難な贅沢であることを、知っている。


不自由ゆえに孤独な人間は、多く、独り言を反復し、沈黙に内なる声を聞き、静止を独房の苦役と思う。結果、内なる声は増幅され、あるいは外なる声を聞き、声は外部へとあふれ出す。あふれてしまう人の必然を、私は多くの他をもって知り、自らによって知る。村崎百郎など、もっと広く読まれてしかるべきと心底から思うが、初期の著作はみな絶版。


そして、独房を逃れ保護色を纏って世俗に紛れた偽装の凡人は、思い知ることとなる。内なる独房における苦役から、自らが決して逃れ得ないことを。終身刑下の虜囚は、内部の沈黙と静止を、街の雑踏に背広と身体の隙間に友人との談笑に恋人との時間に、延々と連れ回すことと相成る。内なる非現実を外の現実に、夜の夢を昼間の世界に、弁証法なきままに寄り添わせる者は、基底的な原理において、記憶の惰性によってのみ生きる、現実的な意志なき、リグレットの生成機構であり装置でしかない。


沈黙と静止を楽しむということは、外部に満ちる叫びを自己において捨象しあるいは認識において抽象するということ、そして、結局のところ、現実の世俗を生きる一応の偽装社会人たる私は、現在においてもなお、一切を常に捨象しあるいは抽象して生きているのであろう、ということ。内なる沈黙と静止の世界にて眠りに落ちて、夜の夢を無尽に消尽することなきまま反復することが、自己の生の本義であって、それのみが記憶の惰性によって私を生かす、他なる一切は内的には余剰であり、あるいは結局のところ書割でしかない。書割に質量と内実ある「かのように」して世を渡り生きている。それが私の生と実存のリアリティを構成する、一貫した基底的な認識であって、むろん欠落ではあろうが、内なる体系においてはノープロブレム。あるいは、眠りと夜の夢という、溶解した記憶とリグレットの、意志と弁証と時間なき惰性に、システムにおける基底的な原理を巣食われ蝕まれた人間の、妥当な帰結というか顛末であるのかも知れない。


私にとっての最優先事項たる生活の設計とは、眠りの可能という、機能と機構の正常に、あるいは特化して尽きている。数十年間、延々とそして昏々と眠り続けて、混濁した記憶とリグレットの溶解部を、無意志無弁証無時間に、ただ反復し反芻しながらやがて原初へと還り、そのまま人生が終了しても構わないと、いやそれこそが本望であると、私は今でも本気でかつ本心から思っている。実現することのない、空しい白昼夢ではあるけれども。


15時間ぶっ続けで眠り続けた先頃、久方振りに大量の夢を見た、常に既視的な、記憶とリグレットの惰性的な消尽なき無尽の反復としての洪水を。内なる静止と沈黙こそが、自己の適正閾値であり、むろんそれは、不在の自己である。内なる記憶の惰性という既視の反復によってのみ生かされる意思とは、馬鹿の謂いである。しかしながら、内なる静止と沈黙に耐え得ない人を、病者であろうがなかろうが、私はあまりに多く知っている。内なる静止と沈黙を、あるいは現実の社会的な喧騒で埋め、あるいはWebを含めたメディアと性的刺激の奔流によって埋め、あるいは非現実の声と叫びによって満たす。私が知っているのは、何よりも私の過去であるからだ。


内なる静止と沈黙に、本質的に人は耐え得ない。外部が自己の意識と最終的には切断してあるとき、かかる空位を、他なる非現実の声と叫びの横溢によって埋めるか、夜の夢としての、個人の内なる既視としての、不在の記憶とリグレットの、惰性的かつ慢性的な反復としての、ささやきによって空虚にかつ永劫に暫定的に満たすか。私は紆余曲折の末、後者を選択した。思い付いたので結語として名を置くが、私はヴィクトル・エリセの『ミツバチのささやき』『エル・スール』が、大好きな困った男である。昨年の夏、溝口健二の50回忌のシンポジウムにて、御本人を拝見した。還暦を回ったとは思えないほどに若々しく、かつ眼の鋭い、素敵なジェントルマンであった。