to be continued


追記:これも読み難いか、と思ったので、引用部の表示を変更しました。むろん、内容には手を加えておりません。


もう眠らなければならない。筑紫氏についての余談はまたの機会に。自ブログの更新もおっぽって、この数日sk-44がブロゴスフィアにて何をやっていたかというと。


「お前が言うな」という指摘の本質 - 地を這う難破船


上記のエントリに関連して、


http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1634184641/E20070127190950/index.html


の、結果的には長大となったコメ欄にて、複数書き込んでいました、長文を。いましがた先方に書き込んだ「業務連絡」を除く、私の書き込みについて、引用部を見やすくしたうえで、改変なきまま当方に全文転載します。後段の書き込みについては、分量的な要因から分割投稿したものを、接続して一括の文章として転載掲示します。以下。


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どうも、です。本件、というか阿部氏の当該発言については、私は自らのブログにてエントリとして見解を記しています。私個人が示し得る見解としては、原則的には当該のエントリにて尽きていますが、こちらのコメ欄を拝見していて、よい方向に話が進まない(つまり噛みあわなくなる)一抹の不安がよぎったので、私なりの横槍を失礼します。最初に明記しておきますと、状況に棹差そうとする発言に対して、私は原則的に敬意を払いまた支持しようと思う者です。


私なりの読解によるなら、Apemanさんがエントリにおいて示している事柄とは「議論を切り分けた方がよい」ということであると思います。


阿部氏の発言はあまりに問題であって批判を受けることは当然。そのことと、震災直後における政府の対応の責を、当時の首相が党首を務めていた社民党(旧社会党)とその政策的な履歴というファクターに「のみ」帰着させて批判することとは、いささか筋が違うのではないか、ということと思います。そうした主旨に基づいて掲示されたエントリであるなら、その点については私は同意します。しかしながら、それは「「のみ」帰着させて批判」している論者に対しては有効な指摘と思いますが――以下、見解を記します。


こちらのエントリのURLが掲示されてもいる、alpha-OMEGA さんがこちらでの発言についての補足的な書き込みをされている(他意はありません、こちらで示されたURL のソースとしての信頼問題に対するalpha- OMEGAさんの見解が補足的にそちらで追記されていたため、示しておこうと思ったのです)『週刊オブイェクト』のコメ欄にも指摘がありましたが「首相が直ちに自衛隊の大規模な派遣を決断」しなかったこと、それ自体は記録されているファクトです。その点について当時の首相であった村山氏は批判を受けてしかるべきと、たとえ結果論であったとしても、私は考えます。政治責任とは結果責任です。


そして、時の首相のかかる不作為としての判断の遅れに際して、首相が長らく所属し党首を務めていた政党の、政策的な主張における履歴が間接的にも影響したのか。むろん、私もまたエントリにて記したことですが、最終的には保留するしかありません。しかしながら、ことに当時の状況、また政権与党に就く以前の旧社会党が公式に掲げていた政治的な主張について鑑みるなら、あえてこう表現してよいなら「状況証拠」としては、疑義を招いてあまりにもやむを得ないものであったと、私は考えます。むろん「状況証拠」に基づく「疑義」でしかない以上、公的に確定的な表現を示して糾弾することは、それは事態の重大性のゆえにこそ、慎むべきでもあるし、少なくとも被災者でも自衛隊の直接的な関係者でもない私個人は(知人に海自がいますけれども)、姿勢としてそうした事柄は記しません。


そして、そうした旧社会党が抱える側面が、あるいは現在においても温存されていると判断されてやむを得ない内容の発言が、所属議員から発せられたからこそ、現社民党もまた批判を受けている。所属議員が「勉強不足」であるということは、その所属政党が、あまりにも当事者的な事項であるにもかかわらず「勉強」を課していないということを示している。むろん、社民党に限った話ではないとも私個人は思いますが。とはいえ、当該の発言における自衛隊に関する記述こそが批判と怒りの殺到を呼び、いまなお呼び続けているということが、そうした事柄と何よりも関係しているし、批判の本質は、やはりその点にこそある。


私が考えるのは「坊主憎けりゃ袈裟まで」あるいは「また社民か!」といった、ある種の偏向的な短絡を排して議論を切り分けたとしても、阿部氏個人の当該発言に対してのみ批判が限定されることなく、少なくとも村山氏に対する批判が再掲されることは当然の事柄であり、かつ彼らの所属政党に対して批判が波及することもまた、筋としてはやむを得ないと私は考えます。


それと。今回の件は周知されるべきであるし、少なくともWebにおいては追及されるべきと私が考え、そのために微力ながらエントリを掲示しその旨を明記した理由としての、この件における最大の意味とは、「首相が直ちに自衛隊の大規模な派遣を決断」しなかったこと、そのことによって時の政府の対応が当時多くの批判を浴びたこと、そうした事実それ自体が、検討的な是非の判断以前に、こと非当事者であった(=被災しなかった)年少の世代に対して多く伝わっていない、ということを知って、いささか愕然としたがためです。多くの有力な指摘は、啓蒙の役割を確と果たされましたし、Apemanさんのこうしたエントリもまた啓蒙の役目を果たすと思います。2chまとめサイトが取り上げたことも、本件に関してはGJとしか私には言えません。さもなくばここまでの周知に至ることはなかった。広く長期的に言挙げなかった結果が、現在に至って事実の忘却を招いていた。かかる深刻な事情が、何よりも一連の事態に際しての前提にあると思います。


Apemanさんのエントリの内容に対する疑問ないし指摘は、他の方がされています。私は、一点だけ、どうしても、申し上げたいのですけれど。

日本では大震災に際して違憲の疑いの濃い戒厳令で軍隊が出動し、国民を虐殺したという過去がありますしねぇ。


なぜ、こうした話が唐突に持ち出されるのですか。Apemanさんの問題関心については、少なくとも上記については私は存じ上げていますが、「大震災」繋がりでこうした話を「ありますしねぇ。」などとして接続的に持ち出すことは、神戸の被災者、いや、少なくとも当時出動した自衛官の方達に対してあまりに失礼極まっています。勢いかも知れませんが、御自分が何を書いておられるか、わかっているのですか。事前の文脈に続けてこうした記述を記すことの示す意味について、貴方が理解されていないとは、到底思えないのですけれども。


大長文、失礼いたしました。意義ある力のこもったエントリが、攻撃的かつ挑発的な応酬によって潰れてしまうことは避けたいと個人的に思ったので。議論の整理に少しでも役立つのであるなら幸いです。棹差す発言は、私は好きであるし支持したいのです、原則的に。


――それと、春日さん、お気持ちはわかるのですが、そうした事柄を記されても不毛であるとは、私個人は思います。春日さんもまたApemanさんも「社民党シンパ」と一方的に呼ばれたなら心外でしょうし、そうした動機からこの件に関して発言なさっているわけではない。虎太郎さんが仰っておられるように、イデオロギー対立の具に震災をめぐる検討的な議論を変えてしまうべきではない、たとえ結果的にも。


sk-44 | Homepage | 01.29.07 - 11:05 am | #


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夜遅くに帰ってきてレスを拝見し、どう書こうかとつらつら考えていたら、とうに追記が記されてしまっていますね。反応の遅い遅筆者で申し訳ありません。更なる議論の深まりに資するのなら幸甚であるので、レスとして、いささかの追記を。まず。

>春日さんもまたApemanさんも「社民党シンパ」と一方的に呼ばれたなら心外でしょうし、


なぜそういう余計な心配をされるのでしょうか? 春日さんについては春日さんご自身からコメントされるのを待ちますが、私に関しては「「社民党シンパ」と一方的に呼ばれ」ようが呼ばれまいがどうでもいいことです。それが「私の個人主義」ですよ。事実問題として私は社民党には(すべての投票行動を覚えてはいませんが少なくとも比例代表では)投票したことがありませんから常識的な意味で「社民党シンパ」であるとは思いませんが、かといって「社民党シンパじゃないやい!」などと釈明する必要も感じません。「社民党シンパ」というレッテルで私の発言を片付けようとする人々であれば、私が「左翼」を自認している時点で「社民党シンパ」であれ「共産党員」であれ同じことでしょうから。


――その、オブラートに包んで遠まわしに間接的な書き方をしたことが、まずかったようなのですけれども。私は本当に、春日さんの「お気持ちはわか」るところではあるし、原則的には他人様のブログのコメ欄において、他のよく書き込まれているコメンターの方を明示的に批判することは、能う限りやめようと、今年に入ってから心がけているので、考慮の末あのような書き方をしたのですが……


私には、春日さんが、Apemanさんのエントリに対して疑問の表明や具体部の指摘をなさっているコメンターの方達の、その指摘の内容的な是非については自ら言及もまた正面から反論することもないままに「この種のファッショナブルな自民党シンパ」「というレッテルでコメンターの方達の発言を片付けようと」しているように見えました。私は、少なくとも現在は、自身から「印象操作」という語を用いることは好きではないのですが、春日さんの書き込みについて、春日さんにそうした意図はないものと思いますが、結果的にはそのように受け止めざるを得なかった。そのゆえにこそ、あえて遠まわしかつ間接的に苦言を呈したつもりではあったのですけれども。よって「余計な心配」をしたわけではない、こと貴方については。


少なくとも、こちらのコメ欄においてApemanさんの発言に対する批判的な指摘を書き込まれている方達は、Apemanさんや、あるいはその他のコメンターの方達に対して「社民党シンパ」といった「発言者の属性」を示すかのごときレッテル的な内容を一切書いてはおられない。あくまで、Apemanさんや、あるいは他のコメンターの方の発言内容に対する反論と指摘に、限定して記述なさっています。「発言者の属性」的な話をされているのは、たとえば春日さんや、その他の方です。追記においてApemanさんが「率直に敬意を払」っておられる通り、貴方が言われるところの「批判者」の方達は、一貫して「節度」を踏まえておられる。


Apemanさんの名前を出したのは、エントリを掲示した本人であり、こちらのコメ欄での議論の中心となっている方であるから、かつ、春日さんが書き込みにおいてApemanさんに言及されていたためです。私の「個人主義」的な考え方と、Apemanさんの「個人主義」とが相違していた、その結果として私が貴方の名前を出して、そのスタンスについて余計なことを記したというのであるなら、軽率についてはお詫びいたします。済みません。


私の書き込みに対する言及のようなので、レスしておきますけれども。


>fortodayさん

当時の総理が社会党の村山氏だったから、例の議員への非難が増幅しているようですけれども、総理が社会党ってだけであって、けっして社会党政権ではなかったということは、年少者に正しく伝わってるんでしょうか?


当時は自・社・さ政権であって、また与党構成も数的にはこの順番であって、圧倒的多数は自民党です。
自民党は名を捨てて身をとったわけで、実態はほぼ自民党政権だったといっても過言ではなく、したがって、たまたま総理が社会党出だったからといって、例の議員への非難を増幅させるのは、分かりやすいマチガイ。


伝わっているのではないのですか、当時の旧社会党の、少なくとも政権を担っていた指導部が「右も左も分からず官僚の言う事を理解するだけで精一杯だった」実務的には無能な、政策的な変節の徒であったことも。そうした話は措きますが、とりあえず申し上げておくと、今回の発言を取り上げた2chまとめサイト、その両方に、抽出レスとしての、当時の村山内閣の閣僚名簿が掲示されています。高名な自民党の代議士が多く入閣していることは、その段階にて瞭然です。かつ、かかるまとめサイトの片方においては、閣僚名簿が記載された直後に「何このオールスター」というレスが抽出掲載されています。つまり、後に、それこそWebにおいては2chを中心に批判を浴びた自民の大物代議士、野中広務河野洋平亀井静香が、重要閣僚として入閣していたがためです。時の政府の対応全体については、当時もまた現在も、政権与党のうち旧社会党にのみ責が帰されたわけでも、またかかる事項に準拠した批判がなされたわけでも、多くはない。


「したがって、たまたま総理が社会党出だったからといって、例の議員への非難を増幅させるのは、分かりやすいマチガイ。」とのことですが、はっきりと申し上げるなら、「したがって」も何も、貴方は先行している議論についてほぼまったく参照していないでしょう。こちらにApemanさんがエントリを掲示される以前に、各所にて多く突発的とはいえ蓄積された議論について。


むろん玉石ではありますが、たかだか数日前を直接的な発端とする議論であるのだから、せめてはてなブックマークの、タグ「阿部知子」に掲載されているホッテントリくらいは、コメ欄に至るまでひと通り目を通してから書き込まれてください。Apemanさんは、先行している議論を把握したうえでエントリを掲示されています。「当時の総理が社会党の村山氏だったから、例の議員への非難が増幅しているようですけれども、」――ようですけれども、ですか。阿部氏が批判されている理由、阿部氏が批判されることと震災発生時の首相の所属政党との相関関係については、貴方の考察は的を外しています。阿部氏の当該発言については、こちらにおける議論の本線ではないので、指摘に留めます。


私があえて書き込んだのは、議論の焦点というか、問題とされている事項の焦点がズレていると考えたがためです。私が記した事柄を、整理を企図してあえて超乱暴に要約するなら、阿部氏の当該発言と、震災発生直後の村山氏の、結果論ではありますが――不作為的な判断の遅れ、両者は別個の問題として言挙げられ検討ないし批判ないし追及されるべきですが、基底面を構成する、共通的な任意の側面が存在する、そのことが、現在の社民党に対する批判へと至ってしまうことは、私個人はそうした批判には与しませんが、あるいはやむを得ない、ということです。


なお。「首相が直ちに自衛隊の大規模な派遣を決断」しなかったことについて問われている事項とは、私のエントリから引用しますが「時の首相の政治的な信条が判断に際して間接的に介在したのか、むろん最終的には保留するしかない」という事柄であって、かかる事項についての責は、自衛隊の最高指揮官たる、古参社会党員としての首相個人に帰着する。つまりは、心情倫理と責任倫理の問題でもある、とは思います。「状況証拠」というのは「心証」を構成するものでしかありません。かかる「心証」とは、任意のバイアスを前提した、色眼鏡を通した判断であるのかも知れない。あるいは穿ち過ぎであり、一種の陰謀論とも言えるのかも知れない。ゆえに、明記しておきますが、あくまで私個人はそうした「心証」の無前提な肯定には与しませんし、あまつさえ「心証」に準拠して公的に確定的な表現を示して記すことは、先述しましたが、事態の重大性のゆえにこそ、姿勢として与しません。


追記にありましたが「「避けうる被害を避けられなかった、その最大の要因」が村山富市イデオロギーであることを説得的に示」すことは、およそ今後にわたって難しい。なぜか。個人の内心の問題に、最終的には帰着するためです。村山氏自身の、震災直後の対応に際しての、氏個人の「イデオロギー」に準拠した発言は、おそらく存在しないことでしょう。私は石原信雄氏による回想録に、目を通しています。以上の認識のうえで。しかしながら、という留保こそが「心証」であって、それを構成する「状況証拠」は、当時の状況においては存在していたと私は考える。体験的な印象論でしかありませんけれども。


……あまり、直接的かつベタには書きたくない事柄なので(それ自体がフレーミング、というか火種となる)、遠まわしにかつ間接的に記しているのですけれども。Apemanさんは了解しておられるからこそ、以下のレスを記されたのだと、私は思っています。

>なぜ、こうした話が唐突に持ち出されるのですか。


旧軍についてはすでにエントリ中で言及しています。また災害時における軍隊の役割を議論する際関東大震災時の出来事が文脈の一部を更正することは歴史的経緯からいって当然であり、なにが「唐突」なのかさっぱり分かりません。また私の皮肉が現場に出動した自衛隊員の方々(また関東大震災時の戒厳令で動員された末端の将兵)に向けられているわけじゃないことは明白だと思いますが? 「もっと早く大規模に自衛隊を派遣すべきだった」と主張したがる傾向と旧軍の過ちを無視したり相対化しようとする傾向とのあいだに明確な相関があると思えばこその皮肉ですよ。なお個々の自衛官は別として、組織としての自衛隊は旧軍の誤りをきちんと総括していない、というのが防衛庁戦史室編纂の戦史(のごく一部ですが)に目を通した人間としての率直な印象です。

sk- 44さんへ追記。書き忘れてました。こんな記事を日本一の大新聞が載せているのに、それでも阪神・淡路大震災を論じている時に関東大震災をひきあいに出すのが「唐突」だとおっしゃいますか?
http://www.yomiuri.co.jp/ feature...20070119_01.htm


――そういうことだったのですか。完全に誤読と誤解と勘違いのうえで、挙句はやまって、柄にもない「情緒的」な批判を詰問長にて記してしまいました。非礼も含めて、謝罪いたします。本当に、申し訳ありません。


当該の発言部。

自衛隊はちゃんと法律の範囲内で行動したんだから、非難されるいわれはありません。


このロジックで議論するなら、村山首相の行動が法律に違反していたと論証する必要があると思いますが? 別になにがなんでも村山首相(当時)を擁護するつもりはありませんよ。しかし「村山が悪い」と言うなら知事の要請なしに首相が出動を命令することを判断して然るべき情報が当日の朝10時までの段階で官邸に届いていたことが確認されていなければなりません。日本では大震災に際して違憲の疑いの濃い戒厳令で軍隊が出動し、国民を虐殺したという過去がありますしねぇ。


皮革首式さんが問われたことについても含めて、あくまでも私の側からの一方的な「解釈」であると断っておきますが、補足を記します。


つまり――「「危機管理」のまずさ」に代表される、システム自体に所在している前提的な不完全性という問題がある。かかるシステムの不完全という問題は、84年前の大震災と12年前の大震災に際して、あるいは共通して窺い得る傾向でもあった。かような、システム自体の不完全性という問題を因子とする危険は、現代においてさえも、また継続的に存在している、そのことを指し示す一例が、当該の読売新聞の記事である――と。


かかる文脈を前提しそれに準拠するのであるなら「唐突」とは私は決して言いません。Apemanさんによる当該発言の文脈をあるいは読み違え、私が浅薄にも「軍隊が出動し、国民を虐殺」という記述に反応して、誤読のうえで詰るような事柄を記してしまったことは、再度、お詫びいたします。そして、貴方がこうした事柄を記す意図とは「「もっと早く大規模に自衛隊を派遣すべきだった」と主張したがる傾向と旧軍の過ちを無視したり相対化しようとする傾向とのあいだに明確な相関があると思えばこその皮肉」にある、ということですね。了解しました。


――Apemanさんは了解されている。だからこそ皮革首式さんへの明確な回答を濁されたのだと思いますが。しかしながら、その点こそが、今回の事態における決定的な焦点であり、およそ中心的な主題です。そして、そのことを直接記すことは、私は避けたい。まさしく、イデオロギー的なフレーミングしか帰結しないから。A pemanさんも、また同様ではないのですか。今回の阿部氏の発言が、なぜあれほどの激越な反響を呼んだか、震災に触れたためだけではないこと、御承知のことと思います。私の一方的な邪推に基づく憶測メソッドであったなら、御指摘ください。


なお、Apemanさんが記された追記に対してですけれども。

平常の防災対策で防ぐことができたものと地震発生後の初期対策で防げたもの、そして初期対策が一段落した後の長期的な対策で防ぐことができたもの(仮設住宅などでの孤独死は数百人にのぼる)とでは当然責任の所在が違ってくる。私見では「できるのにやらなかった」不作為の度合いでは震災後の長期的対策の不備がもっとも高い。


と主張したのですが、この点についてはなんの反論も頂けませんでした。


少なくとも私個人に限るなら、何も反論はないためです。というか、記しましたが、Apemanさんが追記にて再度示されている、エントリ本編の主旨については、同意しています。私は、映像にせよ活字にせよ、あくまで多く東京のメディアを通してですが、被災地の事後的な状況の概観については、ある程度確認してきました。そもそも、あくまで私は、Apemanさんが記したエントリ本編に対する「反論」を記した覚えはありません。私の個人的な見解なら、記しました。


私はこうしたエントリを、その掲示の意義を、支持しています。先の書き込みの導入と結語における、修辞的な書き方が、またしてもお気に障られたのなら申し訳ありませんが、私は単に、佐藤亜紀氏が最近ブログにて記されていた言葉を拝借するなら――敵に向かっても語る人が好きなのです。「敵」とは任意の事象について多く相違する見解を有している者の謂いです。そして、これもまた「前にも同じような趣旨のことは申しあげたと思いますが」、私の個人的な感想に過ぎないことですが、Apemanさん、貴方の姿勢は時に挑発的に過ぎるから、誤解を招くのではないですか。皮革首式さんも、またalpha- OMEGAさんも、敬意を払うに値する「批判者」と私は思っています。少なくとも、こちらのコメ欄に複数書き込んで「敵に向かっても語る」姿勢を示している以上は。更なる長文、失礼いたしました。新規のエントリ、楽しみにしております。


sk-44 | Homepage | 01.30.07 - 7:38 am | #


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現在の段階において、補足は記しません。願わくは、当該リンク先の長大なコメント欄のその一連の流れについて、私が結部に記した追記的な「業務連絡」も含めて、むろんエントリ本編と共に、確認し参照していただけるなら幸甚です。上記の私の書き込みについては、文中において言及しているApemanさんや春日さん、そしてしまうまさんによって疑義が示され批判が加えられています。阿部氏の当該発言をめぐる、24日付のエントリの掲示以降に私が示した追加的な見解です。そして、20日付の当方のエントリにtotさんが記してくださった、大変丁寧な書き込みに対する返答も兼ねて、「業務連絡」にも記した通り、更なる見解を当方にて新規のエントリによって示すつもりではあるのですが、明日から数日出張なのです。皆様、本件に関する新規エントリの掲示については、しばしお待ちください。とまれ、私の現在進行形の発言について、こちらにエントリとして転載掲示しておきます。「因縁」という「行きがかり」は尾を引き続けています、むろん、私の希望であり意思に拠るものですけれども。