行為の帰趨――書簡――(後編)


行為の帰趨――書簡――(前編) - 地を這う難破船


行為の帰趨――書簡――(中編) - 地を這う難破船


(承前。中編結部にて記した通り、前編中編と比して付随的な内容と分量――いわば完結部としてのパートです。以下)

そして、縷々記してきた事柄を理由として、私自身は姿勢においては貴方ほどには行動的になれません。


私がやっていることもあなたと同様「ブログを書く」ことに("Apeman"名義では)尽きているわけで、一体なにをもって私の方が「行動的」だとされているのかよくわかりません。sk-44さんも十分「行動的」なのですよ。


「sk-44さんも十分「行動的」」であることは、認めます。ことに昨年の10月11月12月におかれては。意識面における相違については冒頭部(前編)にて記しました。実際面におかれては、相対的な話です。


貴方は――たとえば南京事件に関しては、一目瞭然の明白な馬鹿の言についても放置をされない。どう見ても終わっています、本当にありがとうございました、なネットワーカーに対しても粘り強く付き合って批判する。コメ欄における議論に対しても極めて積極的。かかる貴方の姿勢から様々なコメンターが集っている。


批判では全然ない。私とは異なり――事実「「ブログを書くこと」に尽きて」いない。方々の「右」の方々のブログのコメ欄にて貴方の再三の指摘訂正と出くわしまくって、なんというか、感服しました。私にはかような意思は、たとえば「募金活動をめぐる騒動」についてもない。言って甲斐ないことは言わないし言って甲斐ない相手に対しては言わない、という「一貫した基準」は、エコノミーの観点からも、判断において存在しているので。


「なにがやりたいのか」――貴方は明確な目標を設定したうえでWebにおける一連の活動を行っている。御明察の通り、私には、積極的な意味においては、それはない。むろん貴方におかれてはかかる事柄はまったくの無問題。投下するコストにおいて、そしてそれを支える意思と意識において、かなわねぇな、と気力体力に欠ける省エネ人間は脱帽して見上げている、という話。


前編中編にて記してきた、以上の事柄についての、ひとつのタイムリーな例証。


http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/926502.html


多くの「当事者」――「炎上のポリティックス」を構成する主体におかれて「自覚」される意識とは、時にかようなものです。「無自覚」ではあるのかも知れない。とはいえ貴方のような真正左翼の論客が、かような意識の在り様をめぐって「政治性」「右とか左とかのはなし」「右翼」と、仮にも私に対して仰るのも。


なお悪い、ということであるなら、むろん了解しますけれども、であるからそれは、右翼や保守主義者とは、そして私とは、思想的にもポリティカルにもおよそ関係のない話。


1例として、記しますけれども――昨年、爆笑問題太田光氏によるラジオ番組における発言に対して、著名な右翼団体が氏の所属事務所に抗議を行ったことがありました。直後、当該の発言なきことが判明、当該団体のホームページの掲示板はしばらく炎上していた。


太田氏の政治的な発言に対する批判がWebの匿名言論に多いことは周知の事実です。鈴木邦男氏含めて、べつだん右翼の活動家がWebの匿名言論においてリスペクトされているわけではない、それも周知の事実。踏み込んだことは記しませんが、当該団体の軽挙は批判を浴びて当然ですけれども。


なお――思い当たったのですが、以前、呉智英氏をめぐる議論に絡んでMacacaFuscataさんが私に示したURLがありました。


http://takeyama.jugem.cc/?eid=288


「お上品な右翼」は、「過激な右翼」のような主張を公言しないが、陰に陽に「過激な右翼」をサポートし、結果的に、社会全体を「過激な右翼」が主張する方向に持って行く──。この「右翼の二重構造」戦略は、50〜60年代アメリカのみの特徴ではないだろう。(原文太字)


あの時、MacacaFuscataさんが私に対して何を言わんとしていたのか、ようやく、いささかわかりはしました。Apemanさんが、私の言行に対して「問題にしている」のもまた、かような事柄の話でしょうか。以前、貴方のブログのコメ欄にてMacacaFuscataさんはfinalvent氏を「お上品な右翼」になぞらえておられた。なるほど、Webにおかれる構造問題としては、所在するかもわかりません。


かかる構造問題に対して如何様に考えるのかと――これ以上先走って書き続けても栓ないとは思うので、最後に問い合わせを行って、一端切り上げてエントリを掲示します。もっとも、問われたとして、大筋/大枠における私の解はすでに示していますけれども。


――阿部氏の発言をめぐる件については、またいずれ別途に、おそらくはいささか端折った形にて言及することになると思います。すでに膨大な分量になっているし、当該の案件自体に対する当方の原則的な見解は一定以上開示している。もし、当方の問題意識と認識の万事に亘って記すなら、長大な量となる。不見識について訂正を記しておきたい他なる方の発言は、いくらか存在するとはいえ。


しかしながら「現時点」において、貴方以外の方に対する名指しの批判を示したうえ、かように多大なるコストを投下するには当方のモチベーションはいささか以上に降下している(――はっきりと申し上げて、現在、昨夜付にて貴方が「中編」に書き込んだコメントを拝見して、相当に脱力していることは事実です。本完結部エントリの掲示すら、放棄しようかと一瞬思った。熱意の糸が切れた。当方の状況とて、一時の気分の徴候とは思われますが。立ち直ったら私なりに対処します)。ただ、2点だけ。

ここは私のコメントを誤解しておられるように思います。関東大震災時のことをひきあいに出したのは、当該コメント欄で補足しておいたように、第一には「「もっと早く大規模に自衛隊を派遣すべきだった」と主張したがる傾向と旧軍の過ちを無視したり相対化しようとする傾向とのあいだに明確な相関がある」と私が思っているからです(ここで「相関」という弱い用語を選んでいるのはもちろん意図的です)。


いや、その部分については「誤解」してはいないはずです。Apemanさんが引用された部分に続けて、


to be continued - 地を這う難破船

Apemanさんによる当該発言の文脈をあるいは読み違え、私が浅薄にも「軍隊が出動し、国民を虐殺」という記述に反応して、誤読のうえで詰るような事柄を記してしまったことは、再度、お詫びいたします。そして、貴方がこうした事柄を記す意図とは「「もっと早く大規模に自衛隊を派遣すべきだった」と主張したがる傾向と旧軍の過ちを無視したり相対化しようとする傾向とのあいだに明確な相関があると思えばこその皮肉」にある、ということですね。了解しました。


そう記しています。貴方が記したコメントに対して。つまり、貴方が「関東大震災時のことをひきあいに出した」その「意図」については、「当該コメント欄で補足しておいた」記述を拝見して、おそらく正確に「了解しました。」。貴方が現行の自衛隊に対して(批判的なスタンスを示すこととは別個に)謗る「意図」を持たないことも。そして、一方で皮革首式さんに対してかかる「皮肉」を記した「意図」についても。

私は「明確な回答を濁」したつもりはないのですが、しかしsk-44さんにも誤解された以上、「明確」ではなかったということなのでしょうね。


「明確な回答を濁」したことについては、「誤解」はしていないと思いますが――「明確な回答を濁すこと」自体は、当該の議論に対する私のスタンスからも、まったく無問題です。察しない側も悪い。


http://www.haloscan.com/comments.php?user=biogon21&comment=E20070127190950&doctitle=HONEYBABY::weblog&docurl=http://village.infoweb.ne.jp/~honey/iblog/#223701

>違憲の疑いとはどういうことでしょうか?

戒厳令』(大江志乃夫、岩波新書)をご参照ください。


>そもそも何が言いたいわけですか?

「01.29.07 - 10:44 pm」の私のコメントの末尾をご参照ください。

Apeman | Homepage | 01.30.07 - 1:17 am | #

当該のコメント。

sk- 44さんへ追記。書き忘れてました。こんな記事を日本一の大新聞が載せているのに、それでも阪神・淡路大震災を論じている時に関東大震災をひきあいに出すのが「唐突」だとおっしゃいますか?

http://www.yomiuri.co.jp/ feature...20070119_01.htm

Apeman | Homepage | 01.29.07 - 10:44 pm | #


いずれにせよ、貴方は私が撤収した後にはっきりと「明確な回答」を記されている。貴方が最終的に御自身の「意図」を有体な表現にて明記するほどに辟易とされたこと、理解します(私が撤収して後さらに百近くもコメントが付くとは思わなかった。しかもどうやら私の書き込みが意図せざるミスリードを結果してしまったようで……申し訳なく思っています)。


しかしながら、というのが私の立場ではあるのですけれども。そして。

一体あなたはなにを斥けようと、あるいはなにから逃げようとしておられるのか? 「帰結」もなにもことははじめから「イデオロギー的なフレーミング」でしょう。


貴方の表現に拠るなら――「なにを斥けようと」「なにから逃げようと」しているのか、(「前編」「中編」にて)明記しました。震災に限ったことではなく、万事に亘る私の原則的なスタンスです。


そして――「ことははじめから「イデオロギー的なフレーミング」」「阿部発言に対する「激越な反応」の真の賭け金が「震災」ではない(震災「だけ」ではない)」むろん貴方はそうした事項を承知のうえで、少なくとも「震災をめぐる件」については、私と同様/近接のスタンスから問題提起をなさっていると、当初のエントリを拝見して、私は考えていました。


それにしては、論旨と表現が挑発的、というか喧嘩腰に過ぎませんか、誤解する人間が存在します、とは率直に思ったし、現に、貴方が言われるところの「批判者」が複数書き込んでいたため、貴方に対してはそのように記しましたが、どうやら、それこそ私の誤解と勘違いと大きな御世話であって、貴方は最初から「その気」であったようですね。


なお「批判者」に対して私が批判することのなかったことをもって、sk-44の「政治性」が見出されるということであるなら、その点については、改めて認めます。貴方は――「ミリオタ」と軽蔑的な意をこめて記すだけあって、いわゆる「ミリオタ」の有する知識と情報の分野については、また個々の当事者の有する問題意識/問題関心ないし内面的なリアリティについても、相対的には不案内でしょう。少なくとも、私にはかく窺える。


にもかかわらず故意に挑発するのはいかがなものでしょうか、仮にも貴方がいささか不用意な表現を故意に用いて挑発したなら反応あって当然でしょう、とははっきりと思いました。筋金入りの「ミリオタ」が、知人に幾人もいるもので。


そして、私はといえば、かかる側面については、誤解というより――明確な不快を感じたこと、事実です。とはいえそれは、貴方のエントリにおかれて示された内容に対するものではなく、そのコメ欄に、「批判者」が投稿する以前に当初書き込まれた、ある方による弛緩しきったふざけたコメントに対する不快に尽きている。為念――よって、春日さんによる発言のことではないし、また、誤解なきよう記すなら、totさんの発言に対するものでも、小倉秀夫氏の発言に対するものでも、fortodayさんの発言に対するものでも、むろんのことしまうまさんの発言に対するものでもない。


その無見識極まるコメントを目にして、私が相当に頭にきたのは事実。――引き金を、引かれました。書き込んだ当人に「自覚」があるのかは知りません。「挑発意図」があるなら「挑発」した行為の帰趨と結果についての「責任」は取るべきでしょうね、コメンテーターといえども。私と同様の不快を覚えた方は、多かったことでしょう。


私が最初に書き込む際に、その方の発言を批判しなかったのは、それこそ「出張放火」になるということ、また、触るのもくだらないコメントであったためです。批判草稿があったのですが、投稿段階にて破棄しました。結果、「行為の帰趨」の矢面に立ったのは、Apemanさんであったわけで、当該のコメンターは自己の発言に対する指摘なきをよきことに、渦中において「無責任」な沈黙と他人事な批判を示しておられましたが。


とまれ、貴方が「その気」であった以上、私は余計なほのめかしを記しただけでした。というか、結果的にはフレーミングを加速させてしまったようです。私の「意図」は、第1にApemanさんのエントリに対する「反応」について幾らかクッションすることにあったわけですが、余計に煽ってしまったようです。慣れないことはやるべきではない。裏目裏筋でした。その点については「矢面に立った」貴方に対して、改めてお詫びします。


――以上にて、ひとまず、貴方が「宿題」エントリにおかれて私に対して問うた事項に対する超長文のレスを、〆て掲示します。貴方が示した問いの「すべてに答えているわけではない」こと、わかっています(1点だけ、答えていません。とはいえ「自らの示した問いのすべてに答えていない」という指摘を私に対して示す「資格」が貴方にあるとも、私は考えていません。「正直に言って」。ようは、相互の「誠意」の関与する問題)。


繰り返しますが、阿部氏の発言をめぐる件については、いずれ、機会を改めて言及します。いったん、貴方による発展的なレスポンスをゆっくりと待つこととします。失礼しました。最後に『痛いニュース』の記事同様、本エントリの執筆中にタイムリーに掲示され拝見して掌を打ったエントリ。


「啓蒙のイロニーからイロニーの啓蒙へ」へのお返事を枕に、最近考えていることをつらつらと。 - 荻上式BLOG


直接に言及する余裕もないうえ――まったく「おまえが言うな」ではありますが――(良い意味で――為念)独特な文章のゆえ、私自身が正確に論旨を把握し得ているのか、いまひとつ自信がないところではあるのですけれども、あるいは我田引水的に私が読み取ったその論旨について、禿しく同意!とだけ記しておきます。


私の問題関心から、世代論的にこじつけるなら(私は世代論を原則的には肯定するし自らも時に準拠し行使します)、20代の「ワカゾー」が、時に前提的に有するリアリティとしての認識。少なくとも、私という30年に満たない歴史存在にとっての基底的なリアリティ。シニシズムアイロニーと、選択と寛容。――〆