私の個人主義(追記:前編)


追記。……すみません。分量的にはてなシステムの限界を超え吹っ飛んだ模様です。エントリの後半部がUPされませんでした。テキストエディタに原稿が残っておりますが、加筆と訂正を大幅に加えての最終稿は入力フォルダにしか残されておらず、それが吹っ飛びました。続編を改めてエントリ分割のうえで掲示いたします。少しく時間がかかりますけれども、お待ちください。数時間内には続編を掲示します。……(号泣)。


大変、お待たせいたしました。一週間振りのエントリです。掲示が遅れに遅れて本当に申し訳ありません。認識が、変遷に変遷を重ねてまいりました。物理的な事情もあったのですが、それ以上に、Apemanさんの意図、というか真意が、私には、本当に掴めなかった。前記エントリの掲示後、さらに、大変に丁寧かつ開示的な、追記としての御返事をいただきました。言葉を語るに値する相手と思ってくださったこと、有難く思います。おそらく、今度こそ誤読はないものと思いますが、私とApemanさんとの間に存在する、明確な認識における齟齬の本質を、ようやく理解するに至りました。ゆえに、今回の応答は、Apemanさんと私との認識の齟齬に架橋するためにこそ、言葉を綴るべきと考えたため、あくまでも、Apemanさんが当方の11日付エントリに書き込んでくださった事柄に基本的には準拠して、御返事としての、私の対応的な見解を記していきます。申し上げるなら、少なくとも私から見て、齟齬の状況が明確に可視となった以上、無益な誤解は解きたい、というのが私の率直な本音です。むろん、Apemanさんの私に対する誤解も、私のApemanさんに対する誤解も。また、大変な話題を呼んでいる、松永英明氏が記し掲示した2chに関する批判記事に、前記エントリの掲示後に目を通し、そのことによって、またしても論旨の変更を余儀なくされました。Apemanさんに対して、あえて包括的な体裁に拠って、レスポンスします。前口上、以上。


なお、エントリを掲示する以前に気が付いたので、付記します。おそらくは本日(日付のうえでは昨日)付で、音羽さんのはてなダイアリーが現在はプライベートモードに切り換わっています。以下に2件、当該ダイアリーの任意のエントリに対して私はTBを送ったうえで、コメ欄における発言に対して引用のうえで言及しております。作業自体は、プライベートモードに切り換わる以前に済んでおりました。誤った引用はないものと思われます。むろん、音羽さん個人の自由ではありますが、私が引用のうえで言及を行った、当該の発言ないしそれがなされた文脈についての、参照的な確認が現状においては不可能となってしまっています。昨年末、TBのうえで明確な言及を受けた当事者による、参照情報のオープンな開示を前提としたごく個人的な要望として、音羽さんに対して、一定期間であれプライベートモードの解除をお願いしたく思っています。こと、私が引用のうえで対応的な見解を提示している、音羽さんのブログエントリのコメ欄における発言の、その大半は、Apemanさんによる書き込みに対するものです。


まず最初に。


何か誤解されているみたいですが……(後記:最後にドンデン返しがあります……) - 地を這う難破船

私はそもそも「テンプレ」的なものをそれ自体として積極的に評価してはいないので、あんなものを「芸」とかなんとか言われても困りますね。われながらくだらない「芸」だと思いつつあえてくだらないことをやってみせただけですから。そのことは「まん延するニセ科学」についてのパロディエントリで私が末尾に書いておいたことを読まれたのならおわかりだろうと思いますが。


あ、すみません。私は「テンプレ」的なものは好きなのです。お気に触ったのであるなら、適切に言い換えます。私は、マジな議論においてもユーモア(字義通りのポジティブな意味です)を挿入することを忘れないApemanさんを、感覚的な観点から個人的に好いている、ということです。私に向けてくださって嬉しかった、ということです。当該パロディエントリのコメ欄における反撥者に対する「いなし方」など、字義通りの意味で感動しています。私の癖による過剰に修辞的な表現については、気を悪くされたのであるなら、お詫び申し上げます。

私は「たとえば、国立大学に通う卒業間近の女子が言う」以下で“書かれていたこと”に対して「不快」に思ったのではないし、別にあなたをして「不快」に感じさせようとしたのではないからです。その「女子大生」に対して「おたくの個人的な正論を、おたくを(その実人生も含めて)知らない不特定多数には晒すなよ、自愛しなさい」と言ったその人物が、「個人的な正論」を現に「不特定多数」に、それだけでなく募金活動をする両親や支援者にも目に入るようなかたちでダダ漏れにしている人びとについてはなんにも言わない、という事実に直面して「はあ?」と反応したのです。


Apemanさんはほぼ同様の内容を、もっと明快かつ端的に、御自身の当該エントリのコメ欄において記されています。


http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1634184641/E20070108182231/index.html

「私的な場」でああいうことを言う人間が許せないらしい人物が、ネット上での同様な(そしてもちろんおおっぴらである分より悪質な)振る舞いにひじょーに寛容なのをあてこするのが私の意図でしたし。


まずごく個人的な違和として申し上げますと「ああいうことを言う人間が許せないらしい人物」とのことですが、内面について言及された当人として実感を申し上げるなら、こと実生活においてはそういうキャラではないと、自らのことを私は判断しております。江戸の敵を長崎で討ったつもりもないです、本人としては、ということですが、しかし、私が「私的な場」において感じた不快がエントリの当該部における記述に明確に反映されている、ということであるなら、9日付のエントリにおいて、当該記述における効果としての「ネガティブキャンペーン」を帰結する主観性と恣意性の関与について執筆者として自ら確認してしまった以上、「反論」する余地はなかったりするのですが。あらゆる記述は方向支持的であり誘導的であり印象操作的である、という「原則論/本質論」は言い訳には、ならない。また。抜粋的に再掲します。

その「女子大生」に対して「おたくの個人的な正論を、おたくを(その実人生も含めて)知らない不特定多数には晒すなよ、自愛しなさい」と言ったその人物が、「個人的な正論」を現に「不特定多数」に、それだけでなく募金活動をする両親や支援者にも目に入るようなかたちでダダ漏れにしている人びとについてはなんにも言わない、という事実


事実関係の訂正として記しますと、明記したと思いますが、共に帰省先にて出くわしたといえ、「靖国」について発言した「女子大生」と、「死ぬ死ぬ詐欺」について発言した女性とは別の人物です。発言した場所についても別個です。私が「自愛しなさい」と言ったほうの彼女はとうに大学生ではありません。正しく社会人です。いや、つまり両人の発言ないしその姿勢における共通的な同一性について摘出的に記述した点については、私の主観的な恣意、言い換えれば「類型性」について描写するための「演出」が関与しているわけですが。とはいえ混同されることのないように明記したはずです。むろん以上の事柄は、Apemanさんが私に対して問い質されている事項における本題とはあまり関係がありません。あくまで、単なる筆者の側からの事実確認的な補足訂正に過ぎません。


しばし、お待ちくださいその2 - 地を這う難破船


11日付エントリのコメ欄にて、Apemanさんが書き込んでくださった内容に目を通して、私は、その、驚いたのですが。精確には、拝読してしばらく経ってから、あ、そういうことであったのか、と驚きまくったのです。たぶん誤読ではない、と思うのですけれど。

>私が当該のブログエントリにおいて「安易に「靖国」といったキーワードを冒頭に用いてしまった点」について、貴方は「気を悪く」された(=「不快」)わけではない、のですか。

あなたが「安易」に用いたのかどうかということは、当然ながら読者たる私にはわからないわけです。私はただ、あなたが「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」を批判する際になにをとりあげなにをとりあげないかに関して一貫した基準をもっていること、にもかかわらずそうした基準が存在しないかのように振舞っておられること、この2点において「公正泥棒」というエントリをかかれたころとまったく変わっておられないのだな、と思っただけです。そして、あのエントリを契機とする長いやりとりは一体なんだったの? と思ったということです。


上記の書き込みのみを拝読した段階においては、Apemanさんが記された「「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」を批判する際になにをとりあげなにをとりあげないかに関して一貫した基準をもっていること、にもかかわらずそうした基準が存在しないかのように振舞っておられること」という記述において指摘されている、私が持っているとされる「なにをとりあげ何をとりあげないかに関しての一貫した基準」とは、何のことであるか、少なくともApemanさんは何のことであると判断しておられるのか、指摘を受けた本人としてはわかりかねていたのです。とぼけているのでは決してなく、本当に。そして、続くApemanさんの書き込みにおける、

>私はいわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」をめぐる事態に対する見解を、前記エントリにて掲示した「時期外れて振り返る」も含めて、一連の記述によって再三再四、開示してきています。

私の見落としであったのなら御詫びいたしますが、あなたは例えば音羽氏の記事の限定された部分について、諸々も留保を付けたうえで同意する、といったかたちで「死ぬ死ぬ詐欺」と騒いでいた面々に言及することはあっても、その「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」をご自身のことばで、つまりは「卒業間近の女子」に対して行なったような明確さで批判されたことはないんじゃありませんか? また音羽氏には「為にする批判」をするために鵜の目鷹の目でアラを探そうとするネガティヴな「ファン」がついているということはご承知だと思いますが(ついでにいえば鳥越俊太郎氏についてもそうでしょう)、そのような文脈で「死ぬ死ぬ詐欺」と騒いでいる連中を利さずに音羽氏を批判するための配慮をしておられるとも思えない。それがあなたの政治的選択だというのならいいのです。その場合なら、私はあなたの書かれたものの「内容」に即して批判するなり賛同するなりするでしょう。「ケンカ」云々はそういうことです。あなたが「不用意に」ではなく意図して靖国参拝問題をとりあげ、かつその際私のことを念頭においておられたということなら、私はそれを私にまっすぐに向けられた問題提起として受けとめただろう、と。


しかしそうではないとおっしゃる。右とか左とかのはなしではなく、「不用意」だったのだとおっしゃる。端的にいえば、“右とか左とかのはなし”でもないのに、首相の靖国参拝への「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」は看過せず、募金活動への「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」に対してはそれにみあった態度をとらない…というのはおよそ私には理解できないのです。それがあなたと私の「資質」の違いであって、私が自分の殻にあわせて穴を掘っているだけだとおっしゃるのなら、もはやこれ以上論じ合っても無駄でしょう。ただ、「資質」なるもので説明されるのなら私としては「信じられない」と思い続けるしかないわけですが。


という記述を拝読して、私はようやく、2点の事柄に気付き、本当に、驚きまくったのです。まず。

あなたは例えば音羽氏の記事の限定された部分について、諸々も留保を付けたうえで同意する、といったかたちで「死ぬ死ぬ詐欺」と騒いでいた面々に言及することはあっても、その「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」をご自身のことばで、つまりは「卒業間近の女子」に対して行なったような明確さで批判されたことはないんじゃありませんか?

 

貴方が仰るところの「「死ぬ死ぬ詐欺」と騒いでいた面々」に対して「その「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」をご自身のことばで」「明確さで批判されたことはないんじゃありませんか?」ということであるなら、その通りです。認めます。とはいえ「「卒業間近の女子」に対して行ったような明確さで批判された」という点は、違います。まず先述しましたが「卒業間近の女子」は「靖国」について発言していた人であり、私は彼女に対しては「自愛しなさい」とすら言っていません。本題とは関係のないことなので、その点は措きますが、いわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」をめぐる事態について私に面と向かって発言した「その「社会人女性」に対して「おたくの個人的な正論を、おたくを(その実人生も含めて)知らない不特定多数には晒すなよ、自愛しなさい」と言った」私の意図は「批判」にあるのではまったくありません。それは、当該の彼女に対しては当然のこと、エントリとして掲示する段階においても同様でした。であるからこそ、NakanishiBさんによる、

前半では実際にあった人と私的に話したことについてで、後半ではその限定がとれちゃってるから「反web的な」ブロガー批判とも読めてしまう、


という読解に対して、感謝を申し上げたうえで同意したのです。NakanishiBさんとの間で、解釈に微妙なズレが生じているようなので、私の文脈から私の言葉に拠って定義しますが「「反Web 的/非Web的」なブロガー」とは、ごく単純に、現行の「Web的」な方向性に対して意思を持って批判的、ないし無知/無関心のうえに無頓着なブログ運営者のことです。おそらくは、NakanishiBさんによる判断とも分岐する見解ではないと思います。そして、そのようなブロガー全般に対する「批判」を、あくまで執筆者としての私は、エントリの掲示に際して意図したわけではない。私的なレベルに準拠した個人的な話を、Web上のブロガー全般に対する公論として述べてしまったかのように受け取られかねない点、当該エントリの受容に際して筆者としての私が、もっとも気にかけ自省し注釈を企図している事柄です。であったがために、決してApemanさんやNakanishiBさんのことを指して記したわけではない、事実として、と一方的な「勘違い」に基づいて「的外れな反応」を注釈として記してしまったわけですが。


再度、関連エントリとして掲示しますが、


時機外れて振り返る - 地を這う難破船


私が当該の彼女に対して伝えたことは、単に、リスクコントロールないしトラブルメンテナンスの類の話です。有り体に言えば「炎上リスク」に代表される事柄の話であって、無関心に準拠した無知に対する、現実的な蓋然性の指摘です。警告/忠告としても構いませんが、記した通り当該の彼女はブログなど運営する気は毛頭ないそうなので。そして私が当該のエントリに限らず、いわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」にまつわる件に関して一貫してブログにおいて記してきたことは、無知に基づくリスクの蓋然に対する、実際的な対策意識の必要性、という、現行のWebにおけるあくまで現実的かつ常識的なプラグマティズムの話でしかありません。「オープンな」ブログの運営に際する恒常的なリスクの蓋然の話です。「炎上」に限ったことではありませんが。


私は彼女に対して「明確さで批判」したわけではない、再度記すなら江戸の敵を長崎で討ったわけでもない、単に、現実的かつ常識的な現状の話をインフォしただけのことです。エントリの掲示に際しては、彼女の話を通じて、多くのブログを運営している、あるいは自ブログを開設しようとしている方達に対して、一方的ではありながら、また周知の事実でもあるけれども、基本事項のインフォを意図しました。そうしたインフォは、少なくとも筆者の意識のうえにおいては、当該のエントリに限ったことではありません。


http://column.chbox.jp/home/kiri/archives/blog/main/2006/09/11_052032.html


切込隊長氏が記す通り、現行のWebがサファリないしサバンナであるとするなら、対応策とは、賢明になるしかない、ということです。現に、こうした「Webの現状」をインフォしたところ引きまくってブログ開設を断念するリアル友人や、「炎上」こそしなかったものの、「微妙な話題」に触れたがためにトラブルに見舞われ(スパムの殺到等)、ブログ運営を断念しクローズドなmixi日記へと移行した知人を、私は幾人も現実に知っています。


つまり、私は「賢明さの欠如」をこそ一般論的には公論として指摘するし自戒も自省もまた行いますが、倫理問題に対して公論的に批判意図を持って指摘する意思は、少なくとも現在の私にはない、ということです。念の為に繰り返しますが「賢明さの欠如」を一般論的な体裁に基づいて公論として指摘することとは、それを「批判」することとは異なります。2度記してきたことを再度、記します。私は「炎上する側にも問題がある場合がある」とは公的には言いません。にもかかわらず、かかる文脈的な誤解の発生が、それこそ遂行論的に当該のエントリにおいて蓋然された点、まさしく私の「賢明さの欠如」の結果ではあって、ゆえに自省しこうして再三に渡り注釈を加えています。


私は、現行のWebにおいて倫理的な批判をことさらに、こと特定個人としての対象なきまま準概括的な体裁に依拠して公論的な一般論として掲示することを、あくまで私個人は、ということですが、言説において志向しません。言って甲斐ないことは言わないうえに、言って甲斐ない相手に対しては言いません。Webであろうと実生活であろうと、発言に際する私の原則的なスタンスであって、そのことは、個別的な程度の差こそあれ、誰においても同様のことでしょう。人は、物理的な限定性のもと個々の発言に際して現実的な最適解を個別的に求めて行動する、この点に限るのであれば、またかかる主張の命題的な内容自体にのみ準拠して判断するのであるなら、小倉秀夫氏の主張する主旨については、同意しています。つまり「自愛しなさい」とは「批判」であろうはずがなくて、あえて話を早くするために露悪的に言うなら「保身のススメ」です。「気をつけたほうが良い」という「忠告」です。あくまでもプライベートな場所において、面と向かって言ったことです。「批判」など、私は現実の私的な知人に対しては、まして直接は、しません。エントリとしての掲示に際して公論的にパブリッシュするとしても、意図のうえにおいては同様です。任意の事柄について知ると思う人間が、知っている常識としての周知の事項について、あえて改めて周知的にインフォした、ということです。誤解の余地が大いに発生したこと、私の責ではあり、ゆえにこうして幾度も注釈しています。


可視的な劇場空間の死(野坂昭如の『真夜中のマリア』と『てろてろ』を読んでいる) - 地を這う難破船


おそらく、Apemanさんは御存知でないことと思いますが、私は2chやいわゆるwatch的な行動について、以前より幾度も自分なりに未熟かつ不十分ながらも考察してはいます。たとえば上記のエントリ。根拠提示と精緻な論証と例証のプロセスが見事にレスの、抽象的で観念的な、最大限によく言ったとしても「批評」的な「(似非)原理論的」考察でしかない、更新に復帰したばかりの頃であったからこそ、かくも断定的かつ飛躍的かつ「(似非)文学的」かつ「ネタ」めいた、エラソーな体裁にて記し得たエントリであって、現在であるなら、まったく異なる書き方をしていることと思いますが、原則的かつ基本的な私個人の見解としては、上記に記されている内容に、大幅な変更はありません。


再度、抜粋的に引用。

また音羽氏には「為にする批判」をするために鵜の目鷹の目でアラを探そうとするネガティヴな「ファン」がついているということはご承知だと思いますが(ついでにいえば鳥越俊太郎氏についてもそうでしょう)、そのような文脈で「死ぬ死ぬ詐欺」と騒いでいる連中を利さずに音羽氏を批判するための配慮をしておられるとも思えない。


あの、これは反論とかではなく、単純に伺いたいことではあるのですが、音羽さんが「受賞」して以降の、当ブログにおける経緯を時系列的に確認してくださったのですよね。私は「受賞」以降の当ブログにおける一連の経緯について、事後的に自らの認識に拠って具体的な詳細を編集的に再記述することは、避けたいのですが。あるいはコメ欄における音羽さんとコメンターとのやりとりを再掲するべきですか。音羽さん本人に限らず、一連の事態に「直接的」に関与した「当事者」としてのブロガーやコメンテーターが現在も大勢、こちらを御覧になられていると、私は思っています。多くの「傍観者」ならぬ「当事者」が関係している事態です。私と音羽さんと「ウォッチャー」だけが当ブログにおける事態に関与したなどということは、事実としてありません。私は「音羽氏には「為にする批判」をするために鵜の目鷹の目でアラを探そうとするネガティヴな「ファン」がついているということ」をまったく本人の自業自得によるものであると、少なくとも音羽さんについては考えていますが。目を通されていることと思いますが、以下のエントリにおいて私の見解を明記しています。


番外編 - 地を這う難破船


なお、御存知のことと思いますが、私は鳥越氏については音羽さんに対する「編集長賞」の授与に際するその思惑については「講評」をもとに批判しました。かかる批判から、私が逸脱したことがあったとするなら、御指摘ください。sakimiさんによる鳥越氏への批判に対しては、単に私が事情に不案内であるためですが、その点についてはあくまで同意しておりません。


2chある限り「watch」という行動様式は消えません。ブックマークサービスについて記したことを繰り返しますが「システムの弊ないし問題を言挙げるのでなければ、以降は当事者的な事態としての個別的な事例に接した際の、個人のスタンスの問題であるとは思います。」。なお「「音羽氏には「為にする批判」をするために鵜の目鷹の目でアラを探そうとするネガティヴな「ファン」」としてApemanさんが想定されている人物の中に、2chのいわゆる「名無し」ではない、任意の固有名としてのブロガーが含まれているのであれば、貴方の見解と共にidないしハンドルを明記してください。その方達の、昨年10月以降の、音羽さんないしは当ブログと関係する言動に対する私の個人的な見解を、誰であろうとはっきり示します。つまり、その程度には、私は昨年10月から12月における音羽さんの一連の言動に対しては、一定以上の見解を持ち合わせています、かつ自ブログにおいてそれこそ「数万字」に渡って開示してきました。肯定面と留保面、いや否定面、あくまで私の目から見た、ということに過ぎませんが、両面について記してきたつもりです。かつ、受賞直後の狂騒に対していくばくかでも「棹差す」意図が私の側に当初あったこと、かつかかる点において私がSchwaetzerさんに対して心情的な敬意を一貫して払ってきたこと、Apemanさんには承知していただいているものと、思います。私は、現在のSchwaetzerさんによる、音羽さんをめぐる発言についても同様に思うのですが、もし任意のブロガーないし固定ハンドルを想定して批判的に記しているのであれば、1度ならず繰り返し批判的に記す以上は、誰の話なのかはっきりと名指すべきであろうとは、思います。ダイアリーの愛読者ではあるので、自分の話ではないですよね、と確認したくなったりも時折する。


そして、私が音羽さんとの一連のやりとりに際して、いかなるスタンスを取ってきたか、ということですが。「音羽氏には「為にする批判」をするために鵜の目鷹の目でアラを探そうとするネガティヴな「ファン」がついているということはご承知だと思いますが(ついでにいえば鳥越俊太郎氏についてもそうでしょう)、そのような文脈で「死ぬ死ぬ詐欺」と騒いでいる連中を利さずに音羽氏を批判するための配慮」とのことですが、まず申し上げますと、あくまで私個人の印象に拠りますが「音羽氏には「為にする批判」をするために鵜の目鷹の目でアラを探そうとするネガティブな「ファン」」と「「死ぬ死ぬ詐欺」と騒いでいる連中」とは、多く重ならない、つまり「そのような文脈で」という語をもって接続し得ない、少なくとも12月の私のブログにおけるやりとりについて限定するのであるなら、と私は考えていますが、Apemanさんはそのようには考えてはおられない、ということですか。たとえば「受賞」の直後に新スレが立った、音羽さんのスレッドではいわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」自体の話題については傾向的にもあまり出ませんでした。また、オーマイニュースwatchスレッドに限るなら、当方における事態については、あまり盛り上がりませんでした。小倉秀夫氏のスレッドでは、私が小倉氏が「受賞」直後に掲示したブログエントリについて、即時的に対応的なエントリを記して言及したために、幾許か頻繁に、そしておよそ好意的に言及していただきましたが。


発言の匿名性に「のみ」拠って発言を判断しない私は、匿名システムそれ自体を理由として、2chを批判する意思はありません。そもそも以前からのROM専門利用者です。そして、私は、管理人としてコメ欄が荒れないように能う限り配慮してきたつもりです。なお当時も記しましたが、音羽さんの発言は多く「荒れ」を誘発して当然、否、正確に言い換えれば「第三者」の反感を喚起して当然のものでした。一例を挙げますが、音羽さんはドクターさんの書き込みに対して再三非礼極まる発言を繰り返し、結局のところ、最後まで、ほぼまったく謝罪することはありませんでした、というか、当ブログのコメ欄においては誰に対してもほぼ無謝罪。私は何を言われようが別に構いませんけれど、私に対する発言でなければ別です。そうした事情についても上記の「番外編」というエントリにおいて、嶺さんと1774さんに対して御返事する体にて記しています。


なおsakimiさんや金田真一さんら音羽さんと過去に「議論」の経緯の存在する方が参入してくることは当然のことです。そうした方達が示してくださるインフォは、私にとっては参考となるものでした。そしてそれは、fw0さんやmuffdivingさんや七誌さんについてもまた同様に、当然のことです。たとえば、私は貴方やSchwaetzerさんとsakimiさんとの過去の経緯について存じ上げていますが、本件はそれと別個の筋です、かつ私も別個の筋には介入しませんし、sakimiさんは当ブログにおいて、そうした分別をちゃんと踏まえてくださった、そのことについては感謝しています。またそうした旨は25日付の総括エントリにおいてsakimiさんに対してレスする際に当方の意思として明確に言明しました。不躾で非礼で唐突な私の見解明示に対して、sakimiさんがあくまで紳士的に対応してくださったこと、ブログの管理人として、感謝しています。そして、本件に関する「watch」の中心とおそらくはなった音羽さんのスレッドにおいて、


トニオさんの大陸エレガンス劇場 四つめ

157 :最低人類0号 :2006/12/21(木) 19:32:11 id:wAbFzotm
sk(-)44氏のところで、トニオに対して個人的な罵倒を持ち込んでいる人へ

(もしこのスレも見ていたらだが)

あのブログのように、非常に丁寧に議論をしているところに、低質の罵倒のやり取りを持ち込まないで欲しい
言いたい気持ちは分かるけれど、抑えて欲しい

このような書き込みが行われ、かつかかる呼びかけが現実に有効的に機能した以上、匿名であろうが音羽さんのスレに書き込まれている方であろうが、ブログ管理人として感謝しないはずがないでしょう。それでも当時は記しませんでした。勘繰りを、閲覧者から被りたくはなかった、その蓋然を能う限り減少させたかったためです。ですから、今あえて明記します。上記の呼びかけを書き込んでくださった方、そして呼びかけに応じてくださった皆様、ありがとうございます。ブログの管理人として、切に御礼申し上げます。


なお同一のスレッドにおいて、

192 :s :2006/12/23(土) 17:35:15 id:WxNZqDfJ
http://x18.peps.jp/
こいつは痛い仔です。みんなどんどん荒らしてね

193 :最低人類0号 :2006/12/23(土) 18:05:18 id:kd6lDxgM
失せろ下種。

リンクとして機能しないように、掲示されたURLを一部削除しましたが、上記のようなやりとりもまた、当ブログにおける事態の渦中において存在したことを、付記しておきます。参考まで。


Apemanさんが11日付コメ欄への書き込みに際してURLを記してくださった以上、私は当時リアルタイムで拝読しておりましたが、参照項としても、こちらに直リンクとして再掲したうえで、引用させていただきたく思います。私が知る限りの(検索した限りでも)、Apemanさんが、例の件について部分的にとはいえ言及されているエントリふたつ。順序の都合から、時系列的には逆となりますが、はてな別館において掲示されたエントリを、まずは。


またしてもカジュアル否定論 - Apeman’s diary


言うまでもなく、私のスタンス(単に、本題として記されている事項については私は知識において甚だ不案内のうえ、議論に参入できるほどの見識もまた持ち合わせてはいないから、ということです)からも「例の件」についての記述を抜粋的に引用したうえで、その点に対してのみ対応的な見解を記します。

ネットのあやふやな情報をもとに「さくらちゃんを救う会」の活動について誹謗中傷が繰り広げられたケースとまさに同じメンタリティだ。南京事件や「救う会」の活動について怪しいところがあるという信念が仮に主観的には真摯なものだとしても、事柄の重大さを考えれば、「もし自分が間違っていたら、自分がやっているのは一体どういうことなのか?」に思いをめぐらしてさえいれば、あのような書き方は絶対にできないはずだと思うのだが。


11日付エントリのコメ欄において、Apemanさんに対して記したことですが、いささか補足を加えた私個人の見解を再述します。Apemanさんが記された、例の件における任意の側面に対して、Apemanさん自身が示した見解については、リテラルには、私は全面的に同意します。Apemanさんが当該のエントリを掲示される3日前に私が掲示したくだんのエントリ「時機外れて振り返る」の中において明記した事柄と、ほぼ同様の内容であると、私個人の見解としては考えています。急いで注記しますが、別にApemanさんが私のエントリを読んで云々などとは私は考えてもいませんし、たぶん御覧になっておられなかったと思います。むろん無問題です。私は上記の引用部においてApemanさんが記されている事柄に同意する、ということです。もっとも「時機外れて振り返る」において私が明記した事柄を前提したうえでならば、ということです、私個人としては。


つまり、私は当該のエントリにおいて「検討者」と「便乗者」の区別ないし分別を、操作的な二分式整理と前提したうえであえて行い、後者に対する批判意思を(「明確さで」とは言い難いことを認めますが)示しました。むろん、きわめて乱暴かつ粗雑な整理的/区別的意図に基づいて。当時において、示す要があったと判断したためです。「検討者」と「便乗者」とはあえて通俗的かつ印象操作的な表現を用いて言い換えるなら、「まともな論者」と「不適格な論者」のことです。いわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」をめぐる事態について「まともな論者」と「不適格な論者」、fw0さんの言葉を再度借りて、あえて言い換えるなら「救う会批判派」と「真正バカ」とを区別し分別したうえで、後者については批判し、かかる認識を導入したうえで事態について再度考察を図るべきであろうと、考えたがためです。むろん「かかる認識」は、当該の件をめぐる「まともな論者」の間においてはとうに前提されていた事項ではあります。


そして、Apemanさんが当該の件に言及するに際して、批判されている対象が、あくまで、私の表現によるところの「便乗してきた不適格な論者」の言動を指しているものであるとするなら、私は上記引用において示された、Apemanさんの見解に、全面的に同意します。とはいえ私個人の私見を付記するなら、上記のエントリにおいて記した通り、あくまで私は、ということですけれど、例の件について、音羽さんが「便乗してきた論者」とは思わないけれども、つまり動機の真摯については私は本当に認めているのですが(であるからこそ、ああしたエントリの掲示によって、本人に対して直接言葉を記しました)、とはいえ結果的には、言動においてまったく「不適格な論者」でしかなかったと、例の件に関しては私は思います。とはいえ、戻りますが、Apemanさんが11日付エントリのコメ欄に書き込んでくださった通り、

しかしながら、私は「死ね死ね詐欺」といって騒いでいる面々の「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」が醜悪だという点に関して全面的に音羽氏を支持しますし、そのことを表明するためのエントリも書きました。
http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E20061011235913/index.html


といった点に限定するのであるなら、「醜悪」といった言葉に私個人の内的文脈において同意するかは別として、ネガティブな感慨を抱くという意味においては、「真正バカ」の嫌いな私は、音羽さんの主張に、あるいはApemanさんが示された見解については、同意します。「支持」といった言葉は、あくまで私は、ということですが、音羽さんに関しては用いかねますけれど。


そして、Apemanさんが示してくださったURLに直リンします。こちらもまた、私は当時リアルタイムにて拝読しておりました。


http://homepage.mac.com/biogon_21/iblog/B1604743443/C1534355107/E20061011235913/index.html


当ブログを閲覧してくださっている皆様におかれては、是非ともApemanさんによる上記エントリの本編については全文御覧になっていただきたいと、僭越ながら私は要望したく思っております。明記しますが、主旨も論旨も含めて、少なくとも上記エントリの本編においてApemanさんが記されている内容については、あくまでリテラルな水準においては、というただし書きが付きますが、私個人は全面的に同感であり同意します。当時も現在も。私は、音羽さんが当該の記事あるいは一連の発言において何を意図し、何を説こうとされていたのか、一貫して私なりに臨界まで努力してきたつもりです。記述検討狂の沽券に賭けて。いや、現在も努力している最中です。冗談ではなくて、Apemanさんが当該のエントリにおいて表明されている見解を、私は私なりに、音羽さんの記事ないし発言に対して実施してはいたつもりです、結果、私の不徳も関係してああいうことになりましたが。とはいえ、Apemanさんが上記エントリの本編において仰っておられる事柄は、私の個人的な原理原則ともまた合致しますし、そうしたApemanさんの見識を私は敬しており、かつ、音羽さんを含めて誰の発言に対しても、現在もまた今後も、ブログ主の姿勢として個人的なプリンシプルを実行していく所存ではあります。


ですから、改めて音羽さんによる書き込みを当方において引き受けました。私以外の人間に発言の累が及ばない限りであるなら、無問題です。かつ、あくまで私が、当方において音羽さんの書き込みに対応するのであれば、馴れ合いと呼ばれることもなく、揶揄してくる方もおられないことでしょう。とはいえ、あくまでリテラルな水準においては、というただし書きを付けざるを得ないのは、Apemanさんが記しておられることに限るのであるなら、その通りと私は思うけれども、と注記せざるを得ないがためです。こと現在においては。上記エントリにおいて示されている、例の件に対するApemanさんの見解、抜粋のうえで引用。

次に「さくらちゃん」問題についてだが、この種の(=募金運動へのバッシング)スキャンダルそれ自体が「臓器移植」という医療技術のはらむ構造的問題だ、というのがもっとも根底にある認識である。つまり臓器移植を望む患者(ないしその家族)の意向を否定したり誹謗したりするつもりはないけれども、だからといって臓器移植というテクノロジーを手放しでは賞賛できないし、まして「美談」にするのは抵抗がある、と。医療として必要なら億単位の金を個人に要求しないシステムで提供されるべきだし、他方移植可能な臓器の希少性を考えれば「誰にでも手の届く医療」ではあり得ないし。移植が可能になることによって、移植以外の治療可能性の研究に割かれるリソースが減ることも問題にならないだろうか…と、まあ煮え切らない立場です。

 仮に「コード」とか「ルプレザンタシオン」といった概念の正確な意味が分からないとして、2chを中心とする募金活動への批判が憶測以外の根拠を持たない、というトニオさんの主張は理解不可能(ないし検証不可能)だろうか? なにより、募金活動への批判者は自らのリテラシーを誇示しているんだから、「コード」とか「ルプレザンタシオン」くらい調べてみりゃいいじゃないか。NHK職員の給与を調べるためなら努力は厭わないが、「ルプレザンタシオン」なんて知らないぜっ! って態度はおかしいだろうが。


同意するのです。あくまで記されている事柄に対しては。少なくともエントリ本編においては、Apemanさんは記述に留意される方であるから。「2chを中心とする募金活動への批判が憶測以外の根拠を持たない」という「トニオさんの主張は理解不可能」とは私は思いません。一連のエントリにおいて記してきましたが、あくまで私なりの、ということですが、理解に至るまでに大変に時間が掛かったことは、事実ではありますけれども。つまり「トニオさんの主張は理解することは可能」ということです。また「検証不可能」とも思いません。とはいえ、おそらくはApemanさんの認識とも合致することでしょうが、事実として、「検証」され「検証」のあげく徹底的に批判されたのは「トニオさんの主張」の方であったわけです。その内実については、一連のエントリにおいて幾度も、こと「音羽理史さんに向けて」において仔細に詳述してきました。かつ、結果的には私もまたそうした作業に加担したことを、認めます。


「募金活動への批判者は自らのリテラシーを誇示している」というのも、誰を指してのことかわからない以上、かつ「誇示している」とする判断の基準が私にとっては把握しかねる、少なくとも無前提に共有はしかねる以上「そのような人もいたことでしょうね」としか言えないのですが。ええ断言しますが「真正バカ」なら多くいたことは確かです。「ルプレザンタシオン」云々についても、私もまた音羽さん同様に、趣味的な人文思想好きではあるので、音羽さんの気持ちはわかります。とはいえ伺いますが、Apemanさんは任意の事象に対する、個別的な関心の所在の相違ならびにその優先順位の個別性を前提した相対性について、認識における前提事項として肯定はされないのですか、と訊いても詮ないことであるし、わかっていて空っとぼけるがごとく訊くことは不誠実な態度とは思うから、率直に申し上げますが、Apemanさんが上記引用の下段において言明ないし表明したかったこととは、そういった事柄ではないのでしょう。まさしく遂行論的な話であると、私は判断しています。


私は、たとえば。


http://d.hatena.ne.jp/Schwaetzer/20070113


上記エントリの、少なくともエントリ本編においてSchwaetzerさんが示されている、音羽さんに対する見解について、リテラルな水準においては全面的に同意します。また、13日付エントリのブクマコメントにkurotokageさん(おひさしぶりです。ブログの更新再開、楽しみにしておりました。12月のmushimoriさんのブログにおける件、どうも言及できずじまいになってしまいそうです。大変に申し訳ありません)が記されている、


はてなブックマーク - まずは、NakanishiBさんと音羽理史さんと通りすがりさんへの御返事をば - 地を這う難破船

kurotokage web, 議論 gerlingさんの立ち回り方には疑問があるけど、言っていることは重要なことだと思う。

といった事柄についても、原則的には同意するものではあるのです。私の個人的な感慨に拠るなら率直に言って「疑問があるってレベルじゃねーぞ!」ではありますが、また「言っていること」が「重要」であるかはわかりかねますが、字義通りの意味において興味深いものであるとは、思います。少なくとも、一顧だにするにも値しないものであるとは、私個人は、ということですが、「受賞」直後から記していることですけれども、一貫して、思わない。というのは、日付で記すなら15日になって初めて、以下の記事の存在を知り、拝読したがためですが。あくまで肯定的な意味から、そして当ブログ管理人が負う責に鑑みても、紹介するために、リンクを掲示します。


http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000004384


詳しく言及する余裕はありませんが、字義通りの意味において、興味深い記事と思います。そして、私はまたしても勘違いをやらかしていたようです。私が15日に至るまで当該記事の存在に気が付かなかったのは、そもそもオーマイニュース自体に対する関心が完全に失せていること、また、2ch音羽さんのスレッドがずっと「人大杉」で読めず(現在も普通には読めない)、引用を行うためにようやく改めて目を通して記事の存在に気が付いたため、かつ、ブックマークタグ「トニオ」「音羽理史」「これはひどい」で検索しても引っかからなかったためです。つまり、どういうことであるか。音羽さんが実名にて記し掲示に至った上記の新規記事に対して、ブックマークに際しそのようなタグを付ける方はおられなかったということです。参照。


はてなブックマーク - 御礼申し上げます


おそらくは、少なくとも音羽さん本人をめぐる件に関しては、もはや事態は収束へと向かっている。音羽さんが記す、少なくともオーマイニュースに本名の署名と共に掲載される言説に対しては、それこそ「書かれている内容」に則した評価が、今後はなされていくのではないかと、私個人は、考えます。であるからこそ「疑問があるってレベルじゃねーぞ!」な「立ち回り方」について考慮されたらいかがですか、という大きなお世話はそれこそ、Schwaetzerさんもまた私も、本人に対して直接的に記してきました。私の「記し方」がいささか「意地が悪かった」ことは事実ですけれども、とはいえ、私がApemanさんに対して疑問に思っていたことは、音羽さんのブログにおける10月以前のやりとりを鑑みても、音羽さんは貴方の言葉に対しては率直に耳を傾ける姿勢を示すにもかかわらず、なぜそうした事柄を貴方が本人に直言しないのか、ということです。むろん、これもまた「大きなお世話」でしかないことですが、しかし。倫理や道義や礼儀という問題以前に、音羽さんの「立ち回り方」は端的に「賢明さの欠如」を示すものであると、私は考えます。

>かつ、最近の音羽さんに対して貴方がおそらくは距離を置いているであろうことも、知っています。少なくとも私は、そう判断しています。

あなたがどのような根拠でそのように判断されたのかは存じませんが、少なくとも私自身はそのようなつもりはありません。私が積極的に音羽氏擁護の活動をしなかったのはあの問題に全面的にコミットするだけの時間がなかったからで、そのような状態で党派的な理由でのみ擁護されることを音羽氏がよろこばないであろうこと、またウォチャー連中を喜ばせるだけであろうことを承知していたからです。


「根拠」というのはむろん、私の個人的な印象にしかなく思い込みに過ぎません。的外れな邪推であったなら、お詫びします。外形的な事実としては、「受賞」以降、12月23日付の、TBのうえで私について音羽さんが言及された音羽さんのブログエントリのコメ欄に貴方が書き込まれるまで、貴方はWebにおいて音羽さんに対して直接的に言及することはなかった(もし、私の見落としによる誤りであったら、お詫びいたします。上記に引用した、12月13日付のブログエントリにおいて「間接的」には言及されているとも、言うことはできますが。とはいえ当時、事態の渦中にあったブログの管理人たる私としては、「書かれている内容」については同意するけれども、当該エントリを掲示したApemanさんの、その「意図」について、いささか不審を覚えていたこともまた、確かなことです)という点にありますが、そのことに対するApemanさんの説明については、了解いたしました。その点については、納得もしますし、想像もついていました。とはいえ、という事柄については後述します。なお音羽さんの10月18日付ブログエントリのコメ欄においても、Apemanさんは「例の件」をめぐる見解を、書き込みに際して部分的に記されています。


http://d.hatena.ne.jp/gerling/20061018

#Apeman 『>今すぐ心移植しないと娘が死んじゃいそうな親に、正論面してそんなことをアジるのはさ、単なる弱いものいじめだよ

死刑存置の是非について議論すると「被害者遺族の前で死刑反対って言えんのかよ!」とか言い出すやつが出てくるわけですが、「臓器移植反対」は平気で言えるみたいですね。』

# gerling 『(前略)

> Apemanさん
死刑にしたって当事者性だけで成り立っているわけではないんですが、当事者性でない部分を問題にするなら、当事者のことは思いやってやれよっていうのは大きいですよね。』


まず、あくまで上記引用部に限るのであるなら、音羽さんが仰っていることには、リテラルな水準においては、同意します。字義としての発言内容のみに拠って判断するのであれば。なおApemanさんが引用されている部分については別です。そして、Apemanさんが示されている見解についてですが、まず、なぜ「死刑存置の是非について議論」という話が持ち出されるのかわかりかねるのですが、それとは別個に。「「被害者遺族の前で死刑反対って言えんのかよ!」とか言い出すやつが出てくるわけですが、「臓器移植反対」は平気で言えるみたいですね。」。あくまで、私の印象に基づく個人的な見解でしかないと断っておきますが、まず当該の議論に際して「臓器移植反対」を「平気で言」っていた方が、当該議論の参加者の大半を占めていたとは、到底思えないのですが。「死刑存置の是非」以降の記述前半部から汲み取り得る、Apemanさんの当該の書き込みにおける主旨上の文脈からは、Apemanさんが記されている「臓器移植反対」とは「当該の女児に対する臓器移植の反対」ではなくて、「臓器移植医療」自体への反対のことを仰っておられるのであると、判断せざるを得ません、書き込みの論旨からも(Apemanさんが記されているのは、「死刑制度」自体の「存置の是非」という文脈に則った対比としての話であるから)。


かかる意における「臓器移植反対」を、当該の件に際して主張されていた方が、少なくとも人称性を保持したWebの論者において、見出されたものでしたか。もしも心当たりがあるのでしたら、当該のブログないしテキストサイトのエントリのURLを示していただけるなら幸甚です。当該の主張に対する私の見解を、おそらくはごく限定的な体としてですが、示します。私は原則的に、あくまで移植医療というテクノロジー自体に対しては、ということですが、相対的に肯定的な見解を有する者ですから。たとえば、上記のエントリにおいて、かつ現在に至るまで音羽さんが批判されている「がんだるふ」氏が、かかる意における「臓器移植反対」を「平気で言」っていたことを、私は寡聞にして知らないわけですが。かつ「「被害者遺族の前で死刑反対って言えんのかよ!」とか言い出すやつ」が当該議論の論者において、あえて言挙げるほどに多く見出されたとは、あくまで膨大な関連スレッドのすべてを精査したわけではない私の個人的な印象のうえでは、ということですが、考えてはいません。いわんや個人ブログにおいてをや。そして「「被害者遺族の前で死刑反対って言えんのかよ!」とか言い出すやつが出てくるわけですが、「臓器移植反対」は平気で言えるみたい」という別個の話が、なぜ接続的に記述されているのかも、現在の時点において考えるなら、個人的にはわかりかねるわけです。


つまり、Apemanさんは私の言葉によるところの「不適格な論者」あるいは(fw0さんの言葉によるところの)「真正バカ」の発言を問題とされているのであろうと、察しますが。記してきて嫌になったので、Apemanさんの書き込みの命題的な意図について、私の(音羽さんのレスからも汲み取れる)推測をもとに述べますが、つまりは「他人の発言に示されている非当事者性を批判する人間が、自らの発言に付随する非当事者性については自戒しない」という発言様式の、その恣意的な二重基準性をこそ批判されているのであろうと思います。かかる問題意識に対して私は全面的に同意しますが、例示は不適切であったと、私個人は思います。「「被害者遺族の前で死刑反対って言えんのかよ!」とか言い出すやつ」と、かかる論旨の文脈に規定された意における「臓器移植反対」を「平気で言える」人間との事実認定的な同一性を、かつそうした論者が当該議論全体の傾向に確定的な影響を与えていたことを、印象論ではなく事実認定のレベルにおいて、貴方は示し得るのですか。端的に、別個の議論の「批判的な意図に基づく恣意的な」混同と思います。つまりは、パフォーマティヴな効果を意図した発言であるのでしょう。念の為、私の見解的な立場を明記するために再掲しますが。

次に「さくらちゃん」問題についてだが、この種の(=募金運動へのバッシング)スキャンダルそれ自体が「臓器移植」という医療技術のはらむ構造的問題だ、というのがもっとも根底にある認識である。つまり臓器移植を望む患者(ないしその家族)の意向を否定したり誹謗したりするつもりはないけれども、だからといって臓器移植というテクノロジーを手放しでは賞賛できないし、まして「美談」にするのは抵抗がある、と。医療として必要なら億単位の金を個人に要求しないシステムで提供されるべきだし、他方移植可能な臓器の希少性を考えれば「誰にでも手の届く医療」ではあり得ないし。移植が可能になることによって、移植以外の治療可能性の研究に割かれるリソースが減ることも問題にならないだろうか…と、まあ煮え切らない立場です。


という記述から窺われる限りのApemanさんの見解ないし見識に対しては、私は全面的に同意します。また、貴方が示してくださった改変テンプレから抜粋的に引用しますが。


何か誤解されているみたいですが……(後記:最後にドンデン返しがあります……) - 地を這う難破船

たとえば、国立大学に通う卒業間近の女子が書く。心臓病の娘のために募金を募るような親は私は支持できない。別に個人が自費で移植手術を受けるのは自由であるけれども、財産を処分していない親が募金をあてにするのは、私はよいこととは思わない。

そのような人間が、ネットの掲示板において自信に満ちた口調で書く、個人が自費で移植手術を受けるのは自由であるけれども、親が募金を募ることは私は支持しない。


発言者の背景がどうであれ、上記のような見解自体に、あくまで私個人は、ということですが、過去においても現在においても、与することはありませんし、かかる見解を支持するようなことを記した覚えはありません。「自腹を切れ」などということを私は言わないし、言ってどうなるものでもない。というか、当該の両親個人について言及した覚え自体がありません。「財産を処分」とか、そうしたことを記す趣味は私にはない。書いて甲斐ないことは書かない。私は録画ビデオを山と溜め込み幾度も公開録画に駆け付けるくらいの『BSマンガ夜話』のファンであったので、NHKに対して反感もありません。なお明記しますが、当該の女児に対する「臓器移植反対」を記した覚えもまた、私は一切ありませんし、根拠の明示も専門的な知見もなきままに一方的かつ無造作に示されるかかる見解に対して与する意思は、過去にも現在にもありません。


なお。上記に直リンした10月における貴方のエントリ「書き手の責任と読み手の責任」のコメント欄において、貴方は『シム宇宙の内側にて』のfw0さんのエントリに対して、直接的に言及しておられます。当時から、私は存じ上げていたことですけれども。参照項としての情報の明示を目的として、時系列的な経緯について、示します。まず、私が「時機外れて振り返る」においてもリンクによって示した、fw0さんによるエントリ「あなたは人の死を幇助していることを理解しているか」に対してブックマークコメントにおいて、Apemanさんは、


はてなブックマーク - シム宇宙の内側にて あなたは人の死を幇助していることを理解しているか

2006年10月09日 Apeman 責任を負うフリをしつつ実はしっかり自己を免罪するメソッド


と記されています。そして、かかる貴方のブクマコメントに対してfw0さんは、ハンドルこそ挙げませんでしたが、


シム宇宙の内側にて ソーシャルブックマーク2.01βぐらいかな


というエントリにおいて、

逆に悲しいこともあります。何名かの方が真摯なコメントを下さっているこちらのエントリに、誰とは書きませんが某有名な方が『何でもかんでもメソッド呼ばわりするメソッド』でコメントされていますね。あのエントリが「釣り?」と思われることは分からないでもありませんが、『メソッド呼ばわりするメソッド』が本当に有効なのは、対象が思考停止している時だけだと考えている私としては、かなりへこみました。それほどまでテンプレ的だったとは自覚していないのですが(被害者の痛みが分からない人だなあ…)。


と間接的に返答しています。そして、当該の、貴方のエントリ「書き手の責任と読み手の責任」のコメ欄における、fw0さんのエントリに記された返答をめぐって交わされた、貴方とNakanishiBさんことN・Bさんとの間におけるやりとりを、当該部に限って抜粋して引用します。

 ところで「有名な方」になった気分はいかがでしょう?w。
http://fw0.blog37.fc2.com/blog-e...-entry- 297.html
N・B | Homepage | 10.12.06 - 8:42 am | #

>ところで「有名な方」になった気分はいかがでしょう?w。

これ、私のことだったのかぁ。いや、どんなブクマコメントつけたのかも忘れてしまっていたので…
Apeman | Homepage | 10.12.06 - 3:05 pm | #

>忘れてしまっていたので…
 足を踏まれた方は踏んだ方ほど簡単には忘れないということでしょう(^^ゞ。
N・B | Homepage | 10.12.06 - 4:54 pm | #

> 足を踏まれた方は踏んだ方ほど簡単には忘れないということでしょう(^^ゞ。

わたしは「あっ、足を踏んでるのに“俺の足の下に足を入れてくる奴が悪い”って言ってる」と書いたつもりだったのですが(^^;
Apeman | Homepage | 10.16.06 - 1:39 pm | #


私は、今回の件について、NakanishiBさんには大変感謝しておりますし、借りがあるとも思っています。Apemanさんについても同様です。とはいえ、今回改めて拝読しましたが、上記のやりとりについて私個人の感想を述べるなら、いささか遺憾であると、言わざるを得ません。特定個人を批判ないし揶揄しているという意識は、あるのですか。私は、音羽さんに対しては、自らがいくばくかの負債を負うべきであろうとは、思っています。つまりは、批判を意図されるのであるなら「あてこする」のではなくはっきりと直接的にやったらどうですか、私に対してされたように、TBを送るなりして、ということです。上記においてApemanさんが示されている批判意思と問題意識とが、現在も継続されているのであるなら、改めて。それこそ、NakanishiBさんが私に対して仰られた言葉を拝借するなら「火の粉」と「覚悟」の話です。私が、9日付エントリにおいて。

>違うんだ、俺たちが気に入らないのは君の言ってること「だけ」じゃなくて、俺たちが何を言っても君の言ってる内容が変わっていないことなんだ。
というわけですよ。「言ってることとやってることが違う」と指摘しても「言ってることだけで評価してくれ」って返すのは、ある意味最強ですね。


>馬鹿とまともな子をフラットに対処しろ、と言ってるのかもしれないけれども、そんなの毎日新聞がやってくれるわけ無いだろう。
そりゃそうだ。新聞になにを期待してるんだか(w


は?


と記したのは、べつだん、レトリックとしての意趣返しではありません。端的に、不可解であったためです。私は、Apemanさんはいわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」をめぐる事態についての検討的な議論に、参入する意思はないものと、思っていました。それは、南京事件をめぐる議論に私が直接的に参入する意思がないことと、むろん等価であるとは私個人は思っていませんが、同様のことでは、あります。そして、貴方の「トニオ」さんに対するレスとして、上段部については構わないのです。私の意識における「転回」についても明記する以前のことであったうえ、音羽さんの指摘についても、言及を受けた当人としては頷けるところではあります。とはいえ下段部の、

>馬鹿とまともな子をフラットに対処しろ、と言ってるのかもしれないけれども、そんなの毎日新聞がやってくれるわけ無いだろう。
そりゃそうだ。新聞になにを期待してるんだか(w


については「そりゃそうだ。」と、少なくとも引用部における音羽さんの発言については明確に同意を示している以上、「は?」としか、私には受け取りようがなかった、つまりはかかるレスを行った意図について開示してくださいと、要請させていただきました。言うまでもないことですが、とはいえ私の記し方もいささか挑発的であったとは思うため、あえて注記しておきますけれども「「トニオ」さんの発言」に対して貴方が「部分的に同意」されたことを「は?」としているわけではない、「トニオ」さんによる当該の発言が、貴方が同意された引用部に限定したとしても、まったく妥当なものではないと私は考えるため、かつそのことは瞭然と思われたため、いかなる見解ないし意思に準拠して、かかる応答をあえて引用のうえ記されたのか、ブロガーとしての貴方の姿勢を知る私には、まったく不可解であった、ということです。


音羽さんが「馬鹿」と評する対象は、当該の書き込みにおける事前の部分から、およそ特定個人を同定し得るものです。かかる音羽さんの価値判断に対して同意し得るほどの見解を、つまりは同意する理由について問われたなら回答し得るだけの見識を、貴方は当該の案件に対して持ち合わせているのですか、ということです。私は貴方を、Schwaetzerさんのような韜晦の人とは思わないので。私も韜晦癖はあるので、コメンターに対して韜晦をもって応えること自体は構わないのですけれど、Apemanさんがかかる態度を、あまりにも瞭然かつ露骨に示したことは、私にとっては不可解な事柄でした。


なおついでに申し上げるなら、御存知のことと思いますが、あくまで当該の私のエントリについては、音羽さんは誤読しまくっているわけですけれども。「馬鹿とまともな子をフラットに対処しろ」とは私はまったく言っていなくて、価値判断に準拠した形容表現については措くとしても、音羽さんが言うところの「馬鹿とまともな子」という二項が「フラットに対処」されてしまうのが現行のWebである、という状況認識の話をしているに、過ぎないのですが。「新聞になにを期待」したことが私はあったかしら。とはいえ「社会的な文脈に準拠して価値的に規定された『ジャーナリズム』という概念」に対してなにがしかを期待してみたりもする傾向自体は、昔気質のモダンの残党たる私には今なお所在するのですけれども。私は鳥越氏個人を嫌っているわけでは、まったくない。


なお、当ブログ管理人の立場から、どうしても2点、指摘せざるを得ないのですけれども。

しかしながら、私は「死ね死ね詐欺」といって騒いでいる面々の「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」が醜悪だという点に関して全面的に音羽氏を支持しますし、そのことを表明するためのエントリも書きました。


おそらくは、単なる誤表記であることと思いますが(それとも、本気で伺うのですが「批判的な意図」を前提した故意の表記ですか。Apemanさんがそのようなケアレスミスをされるとも、およそ思えないもので。むろん「印象操作」云々ということでは、こと貴方に対してはありません)「死ね死ね詐欺」と記された点、続く書き込みに際しても訂正がない以上は、以下のエントリを掲示した者としてはその旨、指摘せざるを得ません。


2.私の見落とし - 地を這う難破船


かかる峻別に厳密な方も、おられます。かつ、表記の峻別に厳密性を要求する理由を、表記の峻別に対する意識の有無を記述者の意識における峻別を示す事項とするのであるなら、私個人は、あくまで私の文脈から、ということですが、原則的には同意しています。また。9日付エントリのコメ欄に音羽さんが記した、

「コミットメント」とかいうのもよく意味が分かりませんが、多分Apemanさんだってぼくと同様、改変文のような「類型」を考えたときに頭に浮かぶのは貴方が言うところでは「深くコミットメント」していたfw0とかいう人なんだから。


という書き込みに対して、なぜ貴方は同日付のコメ欄に続けて書き込まれているにもかかわらず「いえ、違います」の一言を付記されないのですか。音羽さんは明確に名指しされていますが。かつ「とかいう人」とのことですが。私のことではない、かつ、おそらくは御本人が当該記述を御覧になっているものと思われます。違わない、音羽さんが記されている通りである、というのであれば構いませんが、その旨明記してください。音羽さんは、こうした事柄を平気で記す方です。私が、貴方が音羽さんに示している対応を不可解とする、すなわち「当ブログにおいて音羽さんが関係した問題について、Apemanというブロガーに恣意性を云々されたくはない、というのが率直な本音です。それこそコミットメントの有無の問題ですが。貴方は音羽さんに対しておよそ恣意的に対応している。私だけがそう思っていることであるというなら、よいのですが。」と私が記した背景については、以上の事柄に代表される疑問を「根拠」としています。むろん、あくまで私の個人的な印象に過ぎません。


「最近の音羽さんに対して貴方がおそらくは距離を置いているであろうことも、知っています。少なくとも私は、そう判断しています。」私がそのように判断した「根拠」とは、つまりは、貴方は少なくとも「受賞」以降は、音羽さんの発言としての書き込みに対して、当方でもまた御自身のブログのコメ欄においても、そして音羽さんのブログの12月23日付のエントリに書き込まれた御自身のコメントにおいても、音羽さんの発言自体に対して、まともに対応する意思がないものと、私には受け取るしかなかったためです。恣意的な判断が明確に介在していると、思われたためです。留保を付記して同意するという発想が、見受けられなかったためです。


そして、私は、記した通り、音羽さんは「発言者」言い換えるなら「言説の発信者」としては字義通りの意味において興味深いと思ったりもしますが、対他を前提した言論、およそ対立的な議論、すなわち、相互的な言論の場、においては完全な不適格者であると、考えています。私がそのように断定的に判断する、理由ないし根拠ないし例証を示せと仰られるのであれば、応じますけれども、貴方にそこまで介入する意思が、あるのですか。昨年の10月以降に限定したとしても、大変多くの(決して傍観者ではない)当事者が、すなわち音羽さんに直接語りかけ、暴言と非礼をもって返答された方達が、大勢関係し、かつおそらくは当方を閲覧している、そういった事例ですが。かつて、貴方が私に対して仰られた言葉を拝借するのであるなら、貴方は渦中において音羽さんに対して直接語りかける意思を、持たなかった。結果がそう示しています。


そして、ようやく、最初に記した話へと、帰ってくるのですけれども。私は単に、そうした貴方の判断自体が、不可解であったのです。かつて意見交換的な交流をWebにおいて頻繁に交わし、共鳴した、いや、今現在も共鳴している、そのこと自体についてはまったくの無問題、というか他人が口を挟む筋合の事項ではない、そうした相手の言動に対して、かつ相手が、自分の意見には耳を傾ける意思があることを知っているにもかかわらず、なぜ本人に対して肯定面と留保面とを同時に、直接指摘することがないのであろうか、と。そのうえ、第三者の目を前提したならどう考えても逆効果としか言いようのない、恣意的なレスを返すのか、と。任意の問題をめぐって、あえてそう表現するなら「共闘」した相手に対する、シンパシーとしての感情を、私は踏まえない人間ではありません。私自身もまた、持ち合わせてはいます。とはいえ、であるがゆえにこそいっそう、なぜなのか、と疑問には思います。


「受賞」騒動以降の貴方は、私が11日付のコメ欄において尋ねるまで、音羽さんの言動に対して直接には、肯定的な言葉を記すことすらしていない。貴方を公然と揶揄するような馬鹿者はあまりいないことでしょうが、とはいえかかる不可解は、私のみが感じたものではないと、あくまで私個人は、ということですが、思っています。であるからこそ、コメ欄において、間接的な体にて、あえて尋ねました。現在の音羽さんに対する、貴方の見解について。そして、貴方による最新の返答に記されていた、音羽さんの発言に対して貴方がかかるレスを記された「理由」「動機」「意図」を拝読するに至って、私にとっては予想外であった貴方の認識を知るに及び、私は、2点の事柄に、驚きまくったのでした。その2点は、同一面の表裏でした。


当エントリの前述を、抜粋的に再掲します。

Apemanさんの「「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」を批判する際になにをとりあげなにをとりあげないかに関して一貫した基準をもっていること、にもかかわらずそうした基準が存在しないかのように振舞っておられること」という記述において指摘されている、私が持っているとされる「なにをとりあげ何をとりあげないかに関して一貫した基準」とは、何のことであるか、少なくともApemanさんは何のことであると判断しておられるのか、自らとしてはわかりかねていたのです。


そのことに対する答えが、続くApemanさんによる書き込みにおいて、明示されていました。私の誤読でなければ。再掲。

私が積極的に音羽氏擁護の活動をしなかったのはあの問題に全面的にコミットするだけの時間がなかったからで、そのような状態で党派的な理由でのみ擁護されることを音羽氏がよろこばないであろうこと、またウォチャー連中を喜ばせるだけであろうことを承知していたからです。

(前略)あなたは例えば音羽氏の記事の限定された部分について、諸々も留保を付けたうえで同意する、といったかたちで「死ぬ死ぬ詐欺」と騒いでいた面々に言及することはあっても、その「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」をご自身のことばで、つまりは「卒業間近の女子」に対して行なったような明確さで批判されたことはないんじゃありませんか? また音羽氏には「為にする批判」をするために鵜の目鷹の目でアラを探そうとするネガティヴな「ファン」がついているということはご承知だと思いますが(ついでにいえば鳥越俊太郎氏についてもそうでしょう)、そのような文脈で「死ぬ死ぬ詐欺」と騒いでいる連中を利さずに音羽氏を批判するための配慮をしておられるとも思えない。それがあなたの政治的選択だというのならいいのです。その場合なら、私はあなたの書かれたものの「内容」に即して批判するなり賛同するなりするでしょう。「ケンカ」云々はそういうことです。あなたが「不用意に」ではなく意図して靖国参拝問題をとりあげ、かつその際私のことを念頭においておられたということなら、私はそれを私にまっすぐに向けられた問題提起として受けとめただろう、と。


しかしそうではないとおっしゃる。右とか左とかのはなしではなく、「不用意」だったのだとおっしゃる。端的にいえば、“右とか左とかのはなし”でもないのに、首相の靖国参拝への「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」は看過せず、募金活動への「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」に対してはそれにみあった態度をとらない…というのはおよそ私には理解できないのです。それがあなたと私の「資質」の違いであって、私が自分の殻にあわせて穴を掘っているだけだとおっしゃるのなら、もはやこれ以上論じ合っても無駄でしょう。ただ、「資質」なるもので説明されるのなら私としては「信じられない」と思い続けるしかないわけですが。


まず1点、驚きまくったことには、私は「音羽さんは「発言者」言い換えるなら「言説の発信者」としては字義通りの意味において興味深いと思ったりもしますが、対他を前提した言論、およそ対立的な議論、すなわち、相互的な言論の場、においては完全な不適格者であると、考えています」し、おそらくかかる事柄の、否定部分については、現状においてはいまだ周知の事項とされている、容易には周知の認識を転回させることは難しい、それこそ本人がオーマイニュースにおける本名を用いての「言説」の掲示を通じてリカバリーを期する以外にはないと、思われますが、かかる事柄と、実力派の論客たるApemanさんに対する世評/評価との間に、いかなる関係があるのですか、ないし関係性の存在に「のみ」準拠した評価というものが、成立し得るのですか、というのが率直な私の本音です。私は、以下のエントリにおいて明記しています。私の原理原則としての、スタンスです。


1.私の成程 - 地を這う難破船

結局のところ、私個人はあくまで、10月に話題を呼んだ記事の執筆者としての個人と一貫して話していた。品行の責は個人が負う。


個人の品行の責は、そして個人の発言の責は、その削除の責は、あくまで個人が負うし、個人以外に負わせるべきではない。私は、音羽さんの言行について批判しました。音羽さんに編集長賞を授与した鳥越氏の、「講評」に示されたその言行については批判しました。私が言挙げた、かかる事柄「のみ」をもって、平野氏らオーマイニュースの編集部を、あるいはオーマイニュースに参加している市民記者を、その読者を、ましてApemanさんや自らを「レフト」と意識において規定しているブロガーを、ひいては「左」全体を、明示的に批判したことは一切ありません。「批判」する意思自体が、モチベーションも含めて、私にはまるで存在しません。だいたい、道理が通りません、そんなもんは。音羽さんの言行に対する批判をもってして、Apemanさんを、まして「レフト」を一緒くたに批判し得るはずがないでしょう。当然の道理です。というか、音羽さんを「レフト」とは、Apemanさんが「党派的な理由」「政治的判断」という言葉を使用されるまで、私はことさらには意識もしていなかったのですけれども。


「レフト」の話でなくとも、音羽さんという「不適格な論者」と、Apemanさんという「まともな論客」とは、言行においてもその評価ないし信頼性においても、完全に別個であり、厳格に峻別するべきでしょう。私は、あまりに当然のこととしてそのように考えます。音羽さんの言行が徹底的に批判されることが、Apemanさんの活動に対する世評を下落させるようなことがあろうはずはないし、そのような事態が発生するべきでは断じてありません。かような無分別な判断と恣意に基づく偏見と印象操作的な喧伝を、私個人は一様に嫌います。貴方が、音羽さんに対して意見交換的な交流を経て縁を感じ、個人的な機縁に準拠して音羽さんとの意見交換的な交流をWebにおいて存続されようと、それはあまりに当然に、個人間の自由です。一方の個人の言行がおよそ正当な理由から批判されていること「のみ」を理由として、もう一方の個人の言行が、関係性の存在「自体」を理由として連鎖的に批判ないし揶揄されることは、私個人は、まったく好むところではありませんし、断じてそのような態度に同調するものではありません。


当方における件を理由として、音羽さんと過去ないしは現在において、意見交換的な交流を行われている他のブロガーが、音羽さんとの関係性の存在自体を理由として不当に批判ないし揶揄されている記述を、少なくともブロゴスフィアにおいて発見したなら、批判/揶揄を被っている対象がApemanさんであろうとSchwaetzerさんであろうと他の方であろうと、私は、私のブログにおける件を理由としてそのように記されていた場合には、はっきりとブログ主としての違和感を表明します。私が批判したのは「10月に話題を呼んだ記事の執筆者としての個人」であって、他の誰でも何でもない。本件それ自体の影響効果が、本件に言及したわけですらない他の個人ブロガーに対して波及することは、少なくとも私個人は、本意とするところではない。


私は、11月の一件を契機として、つまりはApemanさんのブログから方々へとリンクによって飛んで、ということですが、多くの、自らを「レフト」と意識において明確に規定されているブロガーの方のダイアリーを、あるいはブックマーククリップを、大変に興味深く、時には楽しく拝読して、自らの見解における参考としてきました。字義通りの意味において、です。言行から判断して「レフト」とは私はほぼ意識していなかったのですけれども、音羽さんも含めて。あまりにも当然のこととして、理解したことがあります。問題意識においても関心領域においても人間的な個性においても文章の性質においても、みな明確に個別的である、という明白な事実です。断じて、集合として認識ないし判断するべきではない、ということです。個人の発言ないし行為に対しては、個人を対象として反応ないし対応するべきである、責を問うなら当該の個人に限定して問うべきである、というコール&レスポンスにおける原則の再確認です。音羽さんという個人の品行における責は、音羽さんという個人以外には誰にも負えないし、負わせるべきではない、リカバリーについてもまた同様。あまりにも自明のこととして、私はそう考えます。


個人の品行における責任を他に対して波及的に問うことは、(記事の掲載責任を問うのでなければ)オーマイニュースに対しても、まして他のブロガーに及ぶ事態などは、あくまで私個人は、ということであるけれども、支持しません。音羽さんという個人との意見交換的な交流の存在「自体」を理由として、任意の個人ブロガーが公的に批判ないしは揶揄されることは、私の望むところではまったくありません。「当事者」のひとりとしてのブロガーの意思として、その旨を明記しておきます。現に「受賞」以後にmushimoriさんのブログのコメ欄においてかかる揶揄ないし批判が1件とはいえ、書き込まれていました。見解に対して異を述べるのではないそうした関係性の存在に「のみ」準拠した批判ならびに揶揄は、私の好むところではありません。貴方が言われるところの「ウォチャー連中を喜ばせる」という事項は、前記した通り、音羽さんという個人についてはともかくとして、Apemanという「まともな論客」たるブロガーに対してその塁が波及するのであるなら、そうした事柄はまったく私の本意でないことを、再三でも再四でも、sk-44の意思として明記しておきます。


そして、第2の驚きまくった事柄とは、私のかかる、いわゆる「死ぬ死ぬ詐欺」をめぐる事態ならびにその件についての記事を掲示した音羽さんに対するコミットメントないし問題関心を、私の「政治的選択」に拠るものではないかと、Apemanさんが仰られた点です。「右とか左とかのはなしではなく、「不用意」だったのだとおっしゃる。端的にいえば、“右とか左とかのはなし”でもないのに、首相の靖国参拝への「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」は看過せず、募金活動への「自らの本音たる素朴な私見に基づく裁断ないし断罪」に対してはそれにみあった態度をとらない…というのはおよそ私には理解できないのです。」


――つまり、私のかかる一連のコミットメントないし問題関心の所在とは、ひいては「私が持っているとされる「なにをとりあげ何をとりあげないかに関して一貫した基準」」とは、「右とか左とかの話」に準拠した「政治的選択」に拠るものであったと、Apemanさんは判断されていた、ということですよね。私の誤読でなければ。信じてもらえるのかわからないのですが、私の「意図」を開示するなら、それは誤解です。つまり、Apemanさんは「政治的選択」において自身と対立する位相ないし旗幟、あるいは「党派的」立場に立つ者と、私のことを考えておられた、とそういうことであるなら、私は驚きまくる以外にありません。それこそ「信じられない」と思うほかない。


真面目に本心から記しますが、私は、Apemanさんが当方のコメ欄において「党派的な理由でのみ」「利さずに」といった言葉を用いること、また貴方の当該ブログエントリのコメ欄において「「ケンカ」云々」と記されていたこと、そして、同じくコメ欄においてMacacaFuscataさんが「我々」と、totさんが「この手の人達」と記されていることを、本当に「信じられない」と思っているのです。こと現在においては。「我々」とは誰か。私が7日付のエントリにおいて「勘違い」のあげく記した事柄において、想定していた対象とは、あくまで、貴方のブログエントリのコメ欄において呉氏の発言をめぐって私がやりとりを交わした方達のことに過ぎません。NakanishiBさんしかりsunafukin99さんしかり、貴方と相互リンクをされているから。というか、そもそも私は、当該のコメ欄においてもMacacaFuscataさんとは「やりとりを交わした」覚えはほとんどないのですが。互いに言いっ放しでリンクしないまま終わってしまった気が。ですから、おそらくは2月以降になることでしょうが、改めてTBによってお話してみたいと思っています。


そして「この手の人達」とは誰のことか。私はいかなる集合的対象として概括されているのか、totさんは当方のコメ欄において解説してくださるのでしょうか。つまりは当該言及の内容的な意図について、あくまで発言者本人たるtotさんの記述によって開示していただけますか。はてなidを持っていなかろうとも、署名してくだされば、人称的な同一性を認定し得る内容であるなら騙りを疑ったりは私はしませんので。説明がなければ、今後、totさんによる当該発言を、被言及者の権利として当方のエントリに転載して掲示したうえ、私による対応的な見解を付記します。


(以下、後編へとそのまま続きます。下記がリンク。掲示に際する当方の不手際、誠に申し訳ありません。)


私の個人主義:後編 - 地を這う難破船