小倉氏のエントリに対して思う


音羽さん、おめでとう: la_causette


一人の少女を不幸から救い出す手助けができるのであれば、過去の言動との整合性などどうでもよいではないか: la_causette


私は小倉秀夫という人の日頃の発言を恒常的に観測しているわけではない。であるから驚いた。驚くに値することではない、と某所のコメント欄にて私に伝えてくださった方がいた。記述における、特定個人をすら名指さない揶揄的な表現の頻発に驚いた。私も鳥越氏に対して揶揄的な表現を用いた以上他人のことは言えないが、いかなる対象を指しているのかもわからない概括的な(揶揄の付随した)非難が多いことにもまた、改めて驚いた。とはいえ。

音羽さんの受賞に対してあれこれ文句を付けている人々もいるようですが、


という甚だ概括的な記述の内に私の27日付のエントリも含まれているのであろうとは思うので、「匿名の陰に隠れないと言いたいことも言えない人たち」のひとりではあるが、個人的な感想くらいは記す権利もあるだろう。


「編集長・講評」に対する所感 - 地を這う難破船


小倉氏の当該エントリにおける(コメ欄にて記された追加見解も含めた)論旨を私なりに要約すると「受賞対象となった、音羽氏による3本の当該記事の内容についてのみ限定した形で是非を検討するべきであって、それ以外の批判は筋が違う」となる。現状において異議が噴出するのもやむを得ない見解ではあるが(というか、コメ欄にて音羽氏の「迷惑」を直接被ったブログの管理人氏やその関係者が今回の受賞に対して不快感と異議を表明するのは至極当然です。彼らは音羽氏の当該記事に対する批判的な検討者でもあった。それも「筋違い」と言うのであろうか。一切を概括して「あれこれ文句を付けている」とは言いも言ったりではある)、私個人は同意する部分がないわけでもない。であるから、音羽氏の当該「一連の記事」3本を改めて再読したうえで27日付のエントリを掲示した。自己引用する。

今回改めて、受賞対象となった音羽氏の関連記事を再読したが、記事本文から汲み取り得る、氏が初発の記事において提起しようと試みた氏の問題意識自体にのみ限定すれば、と厳密な但し書きを付ける必要があるが、耳を傾けるにまったく値しない、とは言い切れない、ひとつの意見ではある、とは思った。かかる問題意識が公的な問題提起としての表明段階における過失によって結果的には評価されず、自己記事のコメ欄のネグレクトやオマニーへの新規投稿の内容も含めて、氏のその後の言動がかかる自己の記事において表明された意識とは背反していた言行不一致であったとしても、受賞対象となった当該関連記事における本文自体から汲み取り得る問題意識に対してごく限定して感想を述べるのであれば、ということである。ならオーマイの市民記者賞に該当する水準にある記事内容であったかと問われたなら、私個人はそうは思わないとむろん言う。


(能う限り表現に留意したがゆえの)七面倒くさい記述の要旨を明解に再述する。(文面=テキストにのみ限定した)当該記事3本の内容に対する私個人の感想は、記者氏の問題意識に対しては大筋では異議ないが、問題意識を公的な問題提起として表明する段階において過失と瑕疵が介在しているため、オーマイニュースという公的存在たらんと志向する団体が個別的に顕彰するに値した記事であったかと問われれば、私個人はそうは思わないと言う、ということだ。「受賞は間違っている」などと言う気も権限も微塵もない。「過失と瑕疵」とは何であったか。不確実な推測に準拠して特定のWebコミュニティに属する人達を概括して非難した点、に尽きる。「根拠を示すべき」の印籠を持ち出すつもりもない。「不確実な推測に準拠して特定のWebコミュニティに属する人達を概括して非難している」という認識をもって記事を書いていたのか、ということ。それも自由である。私が今更どうこう言う筋合いでもない。かかる瑕疵を有した記事が公的存在たらんと志向する団体による個別的な顕彰に値すると思うかと私個人が問われたなら、ということである。何やらトートロジー的だが。


私は本エントリを記すに当たって音羽氏の当該記事を再々読いや再々々読したが、特に初発の当該記事から汲み取り得る氏の問題意識と記事投稿の意図は「2ch批判」に限定されるものではまったくないという感想をより強く持った。つくづく、公的な問題提起としての表明段階における過失が瑕疵となっていると思う。むろん過失としての瑕疵は本人の責である。そして後続記事(授賞対象の2本目)においてかかる瑕疵への指摘に対する自省が表明されなかったことを、残念に思う。なぜこんなことを今更記しているかというと、今回の事態の原点にある、自己の記事に関する決定的な誤解については音羽氏自らが解除を意図するべきであろうと、当該記事を再々々読までした酔狂な私は氏本人に対して勝手に思うためだ。本人自身の名誉のためにも。


当該の初発記事における「批評的」な後半部は、氏が公的に提起しようと試みた個人的な問題意識の中心部の在処を示している。後の2本の記事にもそれは見出せる。むろんこれは小倉氏の見解通り当該記事自体の内容にのみ依拠した話であり、かつかかる問題意識の是非の検討もまた別個の件としてあり、そもそも個人的な問題意識が、問題提起として表明する段階において本人の過失によって流産したのであれば、少なくとも記事としては意味がない、というのもその通りではある。


ただ、あの初発記事を投稿した意図が「2ch叩き」にのみあったわけではないでしょう、と私はいかなる思い入れもないが、当該記事の読者としては「記者」氏に対して勝手に思っている。別名義での過去はさておき音羽氏の方々のブログにおける無体の一部始終を私はリアルタイムで知っているし大いに呆れている、とは明記しておく。幾度もニアミスがあった。しかるに、そうした一切をあえて無関係としたうえで、受賞対象となった当該記事3本の内容にのみ限定したうえでなら、という小倉氏の見解に則った話。少なくとも、私はテキスト自体の読解に対しては精確たらんと志している。


そして、であるからこそ鳥越俊太郎による「編集長賞授与」とその「講評」に、私は他人事ながら腹を立てたのであったが。貴兄は音羽氏の当該記事すらちゃんと読んではいない、初発記事の後半部で示された「批評的」見解についてまったく触れていないのはどういうことであるか、と。それはつまり、鳥越氏が音羽氏の記事の内容自体にのみ依拠したうえで顕彰したわけではないことを示している。「「2ちゃんねらー」と称する輩に敢然と正面から論戦を挑んだ」ことにのみ拠って。一貫してその点についてしか触れていない講評が証左である。記者の記事内容ではなく記者の態度と身振り(およびアクセス)にのみ拠って顕彰した、その明らかな恣意に理不尽を感じたから、エントリを掲示した。27日付エントリの通り。ところで「アクセスを稼げればよい」というのはWebにおいては釣りの肯定にしかならない。嫌な話であるが、私もこうしたタイムリーな話題を取り上げれば多少であるがアクセスは伸びる。一時的に。


元ねらーの癖に2chを攻撃しやがって、と批判されることへの違和感を音羽氏が自ブログにて記しているのは本心なのであろう。本人に「2chを攻撃する意図のみをもって初発の記事を書いた」つもりはない。もっと「大きな問題意識」が別所にある。何であるか、と訊かれれば多少の代弁も可能ではあるが、それをこそ本人が説明するべきであろう。かかる本心吐露の是非はさておく。つまるところ、鳥越氏の講評こそが音羽氏本人にとっては理不尽と感じるしかないらしき批判を今頃呼び寄せている、という構図がある。燃料投下。鳥越氏の個人的な恣意によってそれがもたらされたのであれば、どのみちろくなことではない。そういうのを、権力、という。


批判が誤解に基づくものである、と考えているのであれば解除を意図するべきではあろう、自らに責がないとは到底言えないのであるし。当該記事を再々々読までした一読者は本人に対して勝手にそう思う。(リンクしないが)氏の自ブログにおける「受賞記念講演」というエントリは、少なくとも私にとっては「誤解」解除の一端を担う文章ではあった。小倉氏の言う通り大学生なのであれば、普通に真面目なエントリを綴っていったらいいんでないかな、淡々と。余計な御節介ですが。


小倉氏は、自身で言う通り、受賞対象となった当該記事3本の内容にのみ限定したうえで、いかなる個人的な評価をそれに対して下しているのであろうか。氏のエントリのコメ欄においても問い質されていることであるが。私の個人的な判断は記した。私が鳥越氏のみを批判したのは、氏もまた当該記事3本の内容と、内容が示す問題提起にのみ限定して評価したわけではないと、講評から判断したためだ。私個人は音羽氏を批判する意図もまたその筋合いもない。ただ氏に編集長賞を授与した鳥越氏の恣意を、他人事ではあるが批判している。以前コメントに対して説明したものだが、たとえば今回の鳥越氏のような理不尽な言い草を耳にすると自分の守備範囲であればフォローしたくはなる。ところで小倉氏は音羽氏を祝することのみを意図した発言なのか、

コメント欄や2ちゃんねるでの悪口雑言にもめげることなく、信を貫き通したのだから、市民記者として高く評価されて当然です。さすがに、鳥越さんは見るべきところを見ていたというべきでしょう。


と記しているのだが、これは音羽氏の当該記事の内容自体に依拠した評価であるのかそれとも当該記事における氏の態度と身振りに依拠した評価であるのか。厳密な区別など不可能であって判断とはトータルとしてしか下せない、その通り。ところで端的に言って、鳥越氏=音羽氏ではまったくない。2chに対する態度や見方ひとつをとっても。批判であれ揶揄であれあるいは肯定的評価であれ、等号で結んだ判断は誤認である。音羽氏の(「態度」ではなく)発言の内容のみを追っていけば、汲み取り得ることではある。甚だ困難な作業であることも(いや本当に単なる暴言が多い)汲み取る義理など(Webにおいては)誰にもないことも、また事実ではあるが。


言うまでもなく私は音羽氏の肩を持つ気もまた毛頭ない。繰り返すがオーマイ以降の氏の無法をあらかた知っている、事後的にではあるが過去のことも。関わり合う気もない。ただ認識における明白な誤解がもし存在するのであれば、事実はこうですよ、と小さな声で記しておきたくなりはする、ということに過ぎない。もう少し踏み込んで言うと、誤解を解除するべく声を上げる資格のある人々が黙していることにちょっと腹を立ててはいる。私は党派性や関係の話をしているのではない。日頃から本人と意見を公的な場で交換していたのであれば誤解の所在に気付くであろうに、なぜ解除と是正を意図して発言しないのか、と。本人自身による誤解の解除が難しい状況にあることはわかるだろうに。そして小倉氏がこういうことを高みで書く。ブクマのコメントにもあったが「何も救ってない」。


……当初の予定とは異なった方向へとエントリが行き着いてしまった。ところで私は出張の時刻が近付いている。長文は数日間記せない。本当は、しばし状況を見てからエントリを掲示したかった。というかあまり関わりたい件ではない。しかるに物事には時機というものがあるであろう。よって多少殴り書きではあるが掲示します。削除することはないが、後で色々と修正するかも知れない。魚拓は御自由ですが。どちらにせよしばし余裕がなくなるので対応はすぐにはできない。なお私は「スルー力」(初めて聞いたぞこの言葉)には優れているであろう。以上、です。では銀河の列車に乗って出発。機械の身体が欲しい。