「毒が回る」ということ


http://d.hatena.ne.jp/wiseler/20090114/p1

2009-01-20

他人の主張を「嘘」「デマ」と言って回ってる人間がなに泣きごと言ってんの?(追記あり) - Apeman’s diary

好戦的な平和主義者と人道的な軍オタ - novtan別館

ミリオタの「毒」 - novtan別館


軍オタの毒が回ることと戦史オタの毒が回ることとどちらが重症か。はてな屈指の戦争犯罪オタであるところのApemanさんに猟奇犯罪オタの私はシンパシーと尊敬の念を抱いており、一度星島貴徳と南京虐殺の関係性について語り合いたいものであるが。むろんこの与太が成立しないのは「猟奇犯罪オタ」はありえても「戦争犯罪オタ」はいわば言語矛盾であって成立し難いため。


なぜなら、複数の文脈が輻輳する場所において「戦争犯罪」は定義され問われ論じられるから。別の言い方をすると、戦史オタを周囲に持つ者として断言するが、戦史オタの毒が回ることは左翼になることではないが、軍オタの毒が回ることは猟奇犯罪オタの毒が回ることと同様に戦争犯罪を論じる際に支障を来しうる。むろん軍オタが毒属性ということではない。「戦争犯罪」を論じる際に回る任意の毒があるということ――輻輳する諸文脈の切断という。「戦争犯罪」を定義することは国際法の文面をリテラルに論うことではない――複数の文脈が輻輳するがゆえに――ということでもある。


白燐の性質と人体有害性と白燐弾の設計思想と人体有害性と白燐弾使用の実態ならびに被害と白燐弾使用の国際法に基づく違法性の有無と、ガザ侵攻におけるイスラエル白燐弾使用の意図は、全部別の問題であるかというと、違う。「ガザ侵攻におけるイスラエル白燐弾使用の意図」が、最低限「白燐弾使用の実態ならびに被害と白燐弾使用の国際法に基づく違法性の有無」を問う際には同時に問われる。「イスラエルの非人道的兵器の使用」とはそうした文脈において言われているのであって、言い換えると、たとえばraceを区別する神経ガスの研究開発が御法度とされることの意味、ということ。今回のガザ侵攻が戦争の名に値するか知らん。そして戦争と虐殺すなわちgenocideは違う。それは近代戦の前提。だから、人道的兵器って何? とか、そもそも戦争は悪、とか、まぜっかえしでしかない訳だけれど。


「ガザ侵攻が戦争の名に値しない」ことと「イスラエルの非人道的兵器の使用」はいわば同一の問題で、それはイスラエルという特異な民族共同体国家の「意思」を問うことでもある。近代戦において戦争とgenocideは違うのだから、そしてガザ侵攻の無茶苦茶はイスラエルという民族共同体国家の特異な論理を背景とするのだから、両者を同時に問うことは当然の理路。「イスラエルという国家にgenocideの意思がある」ということではない。しかしgenocideの意思は、それが国家意思である限り掣肘が困難だからこそ、チベットのとき問われたように、事態の早期段階において国際社会の関与が問われる。近代に与する世界において、いや人類において、genocideはその萌芽は看過すべきでない、という理路にある話。なので。批判になってしまうけれど。

どうせやるならせめて被害が少ない兵器を、というので不満足な場合、今すぐ戦争やめろ、がするべき主張で、白燐弾の人道的度合いを議論している場合じゃないのである。

いや、兵器そのものの人道的さ加減ではなく、非人道的使い方を責めてイスラエルはルール違反だ、そんな戦争やめさせろ、という主張はありかな。人道的な兵器であるという主張が使うことの言い訳に過ぎないくらい、被害が出ていれば良いのだ。

まあ、そういう議論の一つとして、「イスラエルの使っている白燐弾は非人道的な兵器として定義されているものにあたる」という結論に持っていくことで、イスラエルの非人道的なやり口を訴える、という手はある。けれども、それを主張の根幹にしてしまうと、「やっぱり白燐弾は人道的でした」になっちゃったときに別の主張を始めなきゃいかんし、やってもいいけどルールどおりにな、と言っているようにも思える。目的はルール違反の指摘なんだっけ。

好戦的な平和主義者と人道的な軍オタ - novtan別館


イスラエルのガザ侵攻における白燐弾使用において問われているのは、イスラエルパレスチナ人に対する、あるいは「敵」に対する国家意思の在処であって、その特異な国家意思の現在の場所によっては、近代戦の前提、否、近代の前提をイスラエルという民族共同体国家は踏み越えているということであり、それは近代に与する世界において見逃すべきことでない。――ということが「イスラエルのガザ侵攻における白燐弾使用」について問われているのであって、そのことに対して「穿ち過ぎ」「邪推」を指摘し駁するなら議論たりうるけれど、そうではなく問われている問題を個別文脈へと変換して、いや変換するのは構わないが変換のうえで「白燐弾の問題ではない」と問われている問題に対して言い切ってしまうのは、大変微妙です。「白燐弾の問題ではない」が「イスラエルのガザ侵攻における白燐弾使用の問題」を相殺するならなおのこと。NOV1975さんが整理しておられるような、

白燐弾が人道的かどうかを問うているわけではなく、白燐弾が非人道的として使用禁止の兵器であり、イスラエルはそれを使っている、というのが事実誤認であるならそれを軸にイスラエルを批判したらただの筋違いな批判なんでやめようぜ、というだけで、それは問題の単純化ではありません。
非人道的である、という論点に固執すると、兵器の相対的な比較や使用方法の問題になりますが、それは別に考えたほうがよいですよね。
まとめると、

  • イスラエルの仕掛けた戦争は今すぐやめるべき
  • イスラエルの使い方を見ると、(非人道的とされる)白燐弾と言っても用途によっては非人道的だから問題だ

という二つの論点があります。前者については概ね全員が賛同しているかと思います。
後者については、即刻禁止せよと求めることは可能ですが、実際に使用禁止された場合、どのような代替手段が採用されるかまで踏み込まないとかえって危険なのでは、という主張があります。

好戦的な平和主義者と人道的な軍オタ - novtan別館


そのような話ではありません。「使用禁止の兵器を使っている」からこの「戦争」においてイスラエルはけしからん、という主張をしているわけではないのです――「イスラエルのガザ侵攻における白燐弾使用」を問題視する見解においては。


イスラエルのガザ侵攻における白燐弾使用の問題」は直接には「白燐弾の問題ではない」が、「ガザ侵攻において白燐弾を使用するイスラエルの国家意思」の問題ではある。で、そのときに「白燐弾国際法違反の非人道的兵器ではない」という主張は大変微妙です。つまり、そもそも国際法とは何のためにあるのか、そう主張する貴方は何を問題としているのか、という。


「おまえはどちら側だ」という話ではない。「白燐弾国際法違反の非人道的兵器である」という主張もそのように言い切って為されるなら微妙ですが、それに対して「白燐弾国際法違反の非人道的兵器である」という文面をリテラルに問うて現在の時点でデマと断定することもまた極めて微妙です。微妙、とは、輻輳する諸文脈をなんらフォローしていない主張であり議論である、ということ。


イスラエルのガザ侵攻における白燐弾使用が国際法の理念に鑑みて重大な問題を含む」ということは、イスラエルの国家意思を問うており、しかしイスラエルという特異な民族共同体国家の国家意思とその由来についても膨大な議論が蓄積されてきたからこそ、それこそ左翼は軽々に「イスラエルはgenocideの国家意思を持っている、かも知れない」とは主張しない。それが極めて重大な主張であることは違いないから。いずれにせよ、イスラエルという特異な民族共同体国家と、その国家意思の由来というファクターを外して考えることはできないし、そのことにたとえばヨーロッパ社会は、すなわち「国際社会」を牽引してきた者たちは責任がある。


だから、イスラエルのガザ侵攻における白燐弾使用は「非人道的兵器の使用」として問われるのであって、そのことに対して国際法の文面解釈として論ずると、なんというか「立件されない暴力は犯罪ではない」という暴対法施行以前の任侠関係者歓喜の、何も言っていないに等しい話にしかならない。つまり国際法の成立背景をなんら問うていないし、保護法益について考慮されない法の文面解釈って、弁護士の無料法律相談ではあるまいし、あるいはカフカの城じゃないんだから、誰が得するの、という。面倒くさい話であることは違いないが、ひとつ言えることは、イスラエルのガザ侵攻における白燐弾使用を「非人道的兵器の使用」として問う見解に対して、国際法の文面解釈に即して「デマ」と断ずることは、できません――面倒くさい話であるからこそ。


で、そもそも白燐弾は規制すべき、という見解は、それこそ別の話です。「そもそも白燐弾は規制すべき」の問題と考えて「イスラエルのガザ侵攻における白燐弾使用を「非人道的兵器の使用」として問う見解」を国際法の文面解釈に即して「デマ」と断ずることが、「毒が回る」の意味です。「立件されない暴力は犯罪ではない」なんてのは、何も言っていない。


「任意の兵器が国際法上「合法」であること」や「白燐の性質と兵器の設計思想」の問題ではありません――ガザ侵攻における白燐弾使用をイスラエルに対して問う見解においては。というか、国際法上の合法とはどういうことか、その話です。国際法はあり、非人道的兵器はあります。それらを「国際法」「非人道的兵器」と括弧の問題と見なして、そもそも戦争は悪であり兵器に人道も糞もないとそもそも論を展開するのは、故意にまぜっかえしているのでないなら、改良主義者の私に言わせれば、あまりにサヨク的な発想です。


近代に与する世界にとって、raceを区別する神経ガスは問題であり、genocideは問題です。イスラエルという民族共同体国家の特異な論理が自国防衛のためとしてそのことに頓着しないなら、国際社会と称する世界はそのことを看過するべきではない。国際社会が許さなくともダブスタ上等の人権重視国家アメリカが許してきたわけですが。そもそも戦争が悪であることと、近代戦を春秋に義戦なしの三国志世界にしてしまうことは、話がまるで違います。人類史の長きに亘り、かつて戦争は虐殺の別名として為された。それを禁じたのが、近代以降の世界であり、現在の近代に与する世界です。ホロコーストの再来を許さないと合意した世界です。


星島貴徳と掛けて南京虐殺と解くその心は、と問うなら「相手を人間扱いしないこと」とその状況であって、猟奇犯罪オタであるところの私は「悲しいけどこれ戦争なのよね」「悲しいけどこれ人間の本質なのよね」とヘタリアチックに了解して完であるが、「相手を人間扱いしないこと」とその状況を問題と考える人にとってはそのような感傷を言論において開陳して済むことでない。だから「戦争犯罪オタ」は言語矛盾であり「毒が回る」こともない。このような問題については。


近代テクノロジーにおいて「包丁は悪くないそれで人を刺す奴の根性が悪い」という話はホロコースト以降ありえない、ということ。同様に、兵器なんて全部ダガーナイフ、という話もない。包丁が設計思想を逸脱してダガーナイフとして利用されるのが近代テクノロジーの本質であるからこそ、異民族の非戦闘員を過剰に毀損する、すなわち人間扱いしない、兵器使用は許されない。そのことは、二度の原爆投下を経験したcoloredがよく知っていることのはずだが。