逃げる男と逃げられない女(責任のゼロサムゲーム)


http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20081126/1227713875

運が悪いことの責任を取らなくていいなら人生どんなに楽なことか - novtan別館


「違う話」と前置きしておられるしそのことは一読了解なので、批判とか駁とかそういうことではなく、というかそれこそNOV1975さんの問題関心とは「違う話」ですけど、国籍法改正問題についても少し思うところあったので、議論を拝見してのメモ代わりとして。長めの引用、失礼します。

仕事なんかは特にそうだけど、運が悪い、というのは物事の起きた原因の一つ(あくまで一つ)を説明することに過ぎなくて、実際に取らされる責任は、起きたことによる結果に対する責任なんだよね。まあ、責任を取る、という言葉を「0:10」の全面的責任と捉えてしまうとそれは理不尽。でも交通事故なんてこっち側に責任がなくても「0:10」で責任無しにはほとんどなり得ないことを考えると世の中バランスを取る方向に動こうとはしている、ということは感じます。

運が悪いことの責任を取らなくていいなら人生どんなに楽なことか - novtan別館

「逃げるような男に捕まったのが悪い」ってのは「0:10」じゃないよ、ということを言いたいんだと僕は思っちゃうんだけど、「運が悪かったからしかたがない」というのは逆に「0:10」なんだからしょうがないだろ、と言っているようにも聞こえるんだよね。


理不尽にも取りようがない責任を取らされることなんて人生の中では沢山ある。運が悪かったからなんて話で済ますのは当の本人の気持ちの面だけにしないと先に進まない。悪い言い方だけど、運の悪い人の観察者である我々も、運が悪かったね、と言ってしまうことでその後にやらなきゃいけない(かもしれない)当人への対応を免責される気分にならない?


お前の責任が「10:0」だ!という自己責任教にはなりたくないけど、運が悪かったから「0:10」ねというのも大抵の間接的な影響は運が悪いで済まされちゃうからね。そうか、直接間接での捉え方の違いもあるんだけど、それについては時間がないのでここでは触れない。

運が悪いことの責任を取らなくていいなら人生どんなに楽なことか - novtan別館


私は特定の信仰を持たないので、妊娠出産の責任は、あるいは中絶の責任は、当事者問題と考えます。すなわち、当事者間に留まるのであって、社会的/法的にその責任を追及されてはならない。そして、これが大事なことだけれど、当事者問題としての責任とその所在とは、ゼロサムではない。当事者間の責任問題をゼロサムゲームと考える人はいて、それは普通、ガキと言うのだと思います。男であれ女であれ。


むろん、NOV1975さんのことではない。私の認識と言葉で述べるなら、NOV1975さんはゼロサムという発想それ自体に対して疑義を呈している、あるいは違和感を表明しているのであって、それが記事の趣旨と思います。私が思ったのは、そもそもたとえば有村悠さんが問題提起しておられるのは、そうしたことではないし、当事者間の責任をゼロサムと考えておられるわけではない、ということ。――つまり「責任」違いがbuyobuyoさんの記事とそのブックマークコメントに発する一連の行き違いの因ではないかと。


当事者問題である、にもかかわらず男は物理的に逃げられるから逃げる男がいる。その、生物学的性差に基づく当事者間の不公正を法的に是正するべく現行の認知制度が機能することは私は妥当と考えます。そして。そのことについて「逃げるような男の子供を産む事の責任」を問うことはまったく筋が違う、というか意味がないと思います。意味がないことを知って問うなら他意を含むということです。つまり、叩きたいのではないか。


いしかわじゅんの言葉ですが「男と女はフィフティ・フィフティ。くだらない男を選んだら、半分は自分の責任だ」というふうに私も思います。その責任とは恋愛の責任であり、つまり恋愛は自己責任ということです。妊娠出産あるいは中絶の話ではありません。恋愛の結末について当事者の一方に帰責しうることではない、当たり前のことですがそれは「逃げるような男の子供を産む事の責任」ではありません。なぜならそれは第三者が言うことだからです。


妊娠出産の責任が「逃げるような男の子供を産む事の責任」として「逃げられない女」に対して法的に問われるなら、とんでもないことです。セクシズム云々にはさして関心ないのですが、当事者問題における生物学的性差に基づく当事者間の不公正を法的に是正するべく機能する現行法は、その範囲に即して妥当と思います。そして。


今回の国籍法改正は、その範囲に即した話と私は考えています。私は先の最高裁違憲判断を妥当と考えており、そのことと、日本の法制度がグローバルな人身売買と児童虐待に悪用されることについての懸念は別個に議論すべきと思います。別個に議論しないと城内実前議員のような論旨になりかねないと思います。つまり、かつての人権擁護法案が持ち出されていることが何を意味するかということです。

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国籍の売買に準じた取引は排するべきですが、そのことと日本国における出生条件に基づく法的取扱の是正は別の話と思います。摘出児と非摘出児を法的に分け隔てることなく日本人の父親が実子と認知することが国籍取得条件たりうることと、公共財としての民主制国家において市民社会に対する合意を国籍取得条件において問うこと(また、それを児童/幼児どころか乳児に対して国籍取得に際して問うこと)と、人身売買ならびにそれに即した児童虐待のグローバルな横行とは、それぞれ別個の問題であって、そして今回の国籍法改正におけるプライオリティは何か、ということです。別の問題を一緒くたにしたとき城内氏の開陳する未来予想図になるのだろうと思います。

警察官:「おたくら、10人も娘さんがいてちゃんと扶養しているんですか。」


女:「ウエノムスメタチ、ニポンジンアイテニ、イッパイ、ヨルノシゴトシテル。ワタシタチ、アソンデクラセルヨ。」


男:「あほ、おまえはよけいなこというな。日本の国籍法はなあ、ちと前に改正されて、「父親による扶養の事実」なぞ確認しなくても、子供をいくらでも認知できるし、DNA鑑定もいらんのや。わしが、自分の子供いうたら、自分の子なんや。」


警察官:「しかしいくらなんでも・・・・。」


男:「なに、あんさん、わしらがうそついているとでもいうのか。わしの女房やむすめら日本人やのに、外人あつかいしくさって、「著しく不快」や。人権擁護法という結構な法律ができたんや。わしのつれの人権擁護委員を通じて人権委員会で問題にしたるぞ。」


女:「ニポンジン、カコノハンセイタラナイ。モット、ゴメンサイ、イイナサイ。ドクギョウザ、ニポンジンワルイ。」


警察官:「あれっ、奥さん日本人じゃなかったの?」


男:「世界平和をこよなく愛する国会議員のえらいセンセイ方や、いわれなき差別をなくしてわしらの人権を守ろうとしてくださる法務省のお役人さんたちがいっしょうけんめい知恵を出してつくってくださった法律や。何でもカイカク、カイカクの一環や。あんたらわしらの税金で食っているお役人は黙ってカイカクに従っていればいいんや。」


警察官:「どうみても、税金払っている人種には見えないんだけど。」


男:「なに、「人種」やと。差別発言や!」


警察官:「あっ、しまった。どうもすみませんでした。気をつけてお帰り下さい。」

◎ 政 治 ◎ 「国籍法」の改悪に反対する! « 城内 実(きうちみのる) オフィシャルサイト


故意か本心なのか、色々なものが区別されずカクテルになっているからこういう話になるのだろうと思います。城内氏の展開する未来予想図における意図にあっては、公共財としての民主制国家において市民社会に対する合意なき者が日本の法制度を利用することと、公共財としての民主制国家において市民社会に対する合意なき者が日本の法制度を利用するとき、人身売買とそれに即した児童虐待が付随することが同じこととして示される。そして人身売買とそれに即した児童虐待を行う者は悪人として明解に修飾されている。加えて興味深いのは、そのような中国出身の日本国籍取得者が片言の日本語で日本国と日本人を罵ることで、たぶん片言の日本語にはインチキ関西弁も含む。


普通に駁するなら。第一に、公共財としての民主制国家における市民社会に対する合意、というか日本国に対する本人の帰属意識血統主義を採用する日本国において国籍取得条件として問われることはない。


第二に、グローバルな人身売買ならびに児童虐待に対する摘発と処罰は日本国籍の有無に関わることではなく、また国籍取得が市民権としての権利獲得と同時に当該国の法の遵守を要請し当該国の法に即して違法行為が裁かれ処罰されることは言うまでもない。そもそも城内氏が人身売買ならびに児童虐待それ自体を許すべからざるものと考えておられるのかわかりかねるところです――未来予想図を拝見する限りでは。


第三に、公共財としての民主制国家における市民社会に対する合意を日本国に対する帰属意識として問い、公共財としての民主制国家における市民社会に対する合意なき日本国民を外国出身の日本国籍取得者として例示し、公共財としての民主制国家における市民社会に対する合意なき外国出身の日本国籍取得者を人身売買ならびに児童虐待という普遍的悪への関与濃厚として描き、かつそれに対する摘発処罰の不可能の理由として法的な罰則規定を伴う「人権」とそれに基づく「差別」を提示することは、ヨーロッパ等で御馴染みの、鉄板の煽動です。判で押したかのような。

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今回の国籍法の改正案も、未婚の日本人男性と外国人女性の間に生まれた子について、父親が認知さえすれば日本国籍を容易に取得できる内容であり、①DNA鑑定を必要とせず、②罰則も一年以下の懲役又は20万円以下の罰金と極めて軽く、合法的な人身売買・児童売春が可能となり、本来日本国籍をもつべきでない者にも容易に国籍が付与される。

◎ 政 治 ◎ 「国籍法」の改悪に反対する! « 城内 実(きうちみのる) オフィシャルサイト


国籍法の改正によって、合法的な人身売買・児童買春が可能となるとは寡聞にして知りませんでした。グローバルな人身売買・児童買春は広義の不法入国において対応する以外ない、あるいはそうすればよい、という発想なのでしょうか。水際作戦としての強制送還。むろんそのこと自体は構いません。


被害児童の人権問題とは別に、国籍すなわち市民権の売買に準じた取引の横行において日本をグローバルな人身売買の温床にするべきでない、ということは「べき論」を述べている場合ではない現状を措くならわかります。しかし被害児童の人権問題と改正国籍法が整合しないとは私は考えません。犯罪者の摘発要件がひとつ失われるとして、私の立場は、プライオリティの問題、ということです。


国籍すなわち市民権の売買に準じた取引の横行において日本をグローバルな人身売買の温床としないことについては、今回の国籍法改正が即する範囲になく、それは終わった問題でないから冒頭の有村さんのエントリがあります。繰り返しますが、今回の国籍法改正におけるプライオリティは何か、ということです。


他人を差別主義者と罵ることに私は関心がありません。城内氏に対しても。同時に、故意にか本心からか、複数の問題をカクテルして任意の立法が即する範囲を超えてプライオリティを混乱させることにも関心がありません。カクテルを分解し分節するのが現代の政治と私は思います。かつての政治はそうではありませんでしたが。


むろん、国籍すなわち市民権の売買に準じた取引の横行において日本をグローバルな人身売買の温床にするべきではない。それが城内氏にとっての立法のプライオリティであるとして、そのプライオリティがカクテルにおいて提示されなければならないなら、それは立法におけるプライオリティの差し替えを意図する行為です。簡単に言って、場当たりということです。


城内氏の立法のプライオリティに即するとき、守られるべきは第一に被害児童の人権であって、それは改正国籍法と整合しないものとは私は考えません。最高裁違憲判断に基づくものであり私はそれを妥当と考えるからです。その点について故意にか本心からか混乱のうえでかつての人権擁護法案が持ち出されるなら、そもそも被害児童の人権救済を立法のプライオリティとして今回の国籍法改正に反対しているのではないのではないか、ということになります。それがカクテルの意味ではないか、ということです。むろんそれは構いませんが――別の機会にお願いします。


「本来日本国籍を持つべきでない者にも容易に国籍が付与される」が本筋であり、城内氏にとっての立法のプライオリティなのでしょう。むろんそれは構いませんが、しかしそれは人身売買や児童買春を、まして偏見を動員して持ち出さずとも論じうることで、つまり国籍としての市民権取得を父子関係に基づく血統主義から出生地主義を前提とする市民契約理念へと明示的に転回するべきです。私は少なくとも率先して賛成はしませんが――「べき論」としては。


まず日本社会が市民契約理念をちゃんとやるべきであり、それには私は賛成で、だから裁判員制度にも賛成です。――と、そういう話になるのではないでしょうか。血統主義に即して法的な不公正は是正されるべきであり、その結果としての最高裁違憲判断でした。ゆえに、このことについて「逃げるような男の子供を産む事の責任」を問うことは、端的な筋違いに留まらず、まさに今回の国籍法改正が即する範囲ということです。

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男と女のフィフティ・フィフティは、その自己責任は、「半分は自分の責任」とは、自ら引き受けるものとしての責任であって、他から突きつけられるものであるなら大きな御世話であり、そして法的に決裁されるものではありません。妊娠出産の責任は当事者間においてゼロサムではない。当事者間において分かち合うべきもの、ということです。


ゼロサムとして考えるから「逃げるような男の子供を産む事に責任は生じないの?」ということになる。つまり、たとえばbuyobuyoさんの記事に対して、そうした疑義の表明が必要と考える。そして、当事者間において分かち合うべく妊娠出産の責任が法的に決裁されるとき生物学的性差に基づく不公正の是正が図られることは、至極妥当です。今回の国籍法改正は、その範囲に即して為されると、私は考えています。


まとめると、恋愛は自己責任、妊娠出産は当事者相互責任、ということです。そして、生物学的性差に基づく当事者相互責任の不成立について現行法は阻止するべく図っている。対する「逃げるような男の子供を生むことに責任は生じないの?」という問いに答えるなら、責任は生じますが、それは相互責任です、とそういうことになります。